普通人・龍馬に学べ!/冨永一成
維新回天の扉を開いた坂本龍馬は、日本で最も愛される男といっても過言ではない。彼の成したことは、日本最初の商社といわれる「亀山社中」結成、犬猿の仲であった薩摩と長州を結びつけた「薩長同盟」締結、新国家体制の基本方針となる「船中八策」の起草、そして「大政奉還」の推進と実現である。全てが龍馬一人の力ではないにせよ、幕末においてこれだけの偉業に携わった人物は極めて稀である。龍馬の生き様から醸成される「天衣無縫」「自由闊達」などのアクティブなイメージと「暗殺」という非業の死を遂げた薄倖さなどが相まって、日本人にとって稀有な存在として愛されている。
しかし、これだけをクローズアップすると、さも龍馬は才学非凡で国士無双な偉人のように感じられるかもしれないが、奇妙なことに彼の少年期には愚暗なる愚童伝説が存在するのだ。末っ子で甘えん坊だったという龍馬は、「よばあたれ(夜尿症)」、「泣き虫」と仲間から小馬鹿にされる弱虫。近所の塾では、塾生と喧嘩して退塾。それ以降は四書五経を修める機会もなく、また思想開眼も晩稲であったといわれている。これらは多少の尾ひれがついて喧伝された感も否めないが、龍馬の凡庸さを物語る逸話である。龍馬の名誉のために尾ひれを取り除いたとしても、龍馬はごくごく「普通の人間」の範疇に入るのではなかろうか。決して有智高才な人間でないことは確かなようだ。
そんな落ちこぼれとも思える少年期を経て、龍馬は新生日本のプランナーとして名を馳せるまでに成長するのである。このギャップに驚かされるとともに、龍馬はギャップをいかにして埋めたのかということを思わずにはいられない。その謎を解くには、現存する百三十通余の龍馬の書簡が極めて重要な意味合いを持つ。龍馬の書簡は、口語文ゆえに躍動的で強烈な個性をイメージしがちだが、実のところ龍馬が物事に対峙した「責任感」の強さや人に対する「思いやり」が滲み出ている。ここに龍馬流の本質が見出せると思う。
つまり「人は才能よりも『責任感』や『思いやり』で決まる」という龍馬流の対処法ではないか。「信頼関係がなければ、社会の中で生きていくことができない」と龍馬は確信し、そのために素地を磨いていったのである。そう考えると龍馬は巷間に伝えられるヒーローではなく、どこにでもいる普通の人間が、根源的なことを実行し、飛躍した一人の男として映るのである。
本書は「若い人におくる……」とあるように、今の若い世代へ向けて、等身大の「龍馬」の姿を描くために心を砕いている。著者のライフワークであるスポーツ・ノンフィクションのジャンルから、龍馬のように世界を視野に入れて飛び出したアスリート「イチロー」と「中田英寿」らをオーバーラップさせ、イチローが父親や仰木監督に果たした「責任感」、中田英寿が人との絆でサッカーを愛したという「思いやり」の発露に龍馬を投影することで、百五十年という時を超えて、現在に龍馬を甦らせている。
さらに龍馬が認めた多数の書簡から印象的な一文を選んで、現代語に訳した。「龍馬のことば」ひとつひとつが生き生きとしているために、読んでいるうちに、まるで龍馬が自分たちの近くにいる人間であるかのような錯覚を起こす。閉塞感の漂う行き詰った現代社会の中で、「若い人たちよ! 夢を捨てるな! 諦めるな!」と龍馬が語りかけてくるのだ。龍馬がそうであったように、何人にとっても「責任感」や「思いやり」は社会や個々の人生においての駆動力となる。それは、同時に好循環のスパイラルにもつながっていく。
「龍馬のことば」を現代語訳し、我々と同じように悩みながら生きた姿を描いた、著者の試みは、龍馬と現代の若者との距離感を縮めたし、その功績は極めて大きく意義深いと思う。龍馬ファンのみならず、多くの人々に勧めたい一冊である。
龍馬は名を残したが、今を大切にして怠けることなく努力した歳月不待の「普通人」であった。だから誰でも“現代の龍馬”になれる可能性を秘めている。著者が若い人たちに託した願いを、千篇一律ではない本書で感じてもらいたい。
(とみなが・かずなり 歴史愛好家)
『若い人におくる龍馬のことば』 詳細
小松 成美 著
ご注文方法はコチラ
トップに戻る
バックナンバー
- 第638号24年5月号
- 第637号24年4月号
- 第636号24年3月号
- 第635号24年2月号
- 第634号24年1月号
- 第633号23年12月号
- 第632号23年11月号
- 第631号23年10月号
- 第630号23年9月号
- 第629号23年8月号
- 第628号23年7月号
- 第627号23年6月号
- 第626号23年5月号
- 第625号23年4月号
- 第624号23年3月号
- 第623号23年2月号
- 第622号23年1月号
- 第621号22年12月号
- 第620号22年11月号
- 第619号22年10月号
- 第618号22年9月号
- 第617号22年8月号
- 第616号22年7月号
- 第615号22年6月号
- 第614号22年5月号
- 第613号22年4月号
- 第612号22年3月号
- 第611号22年2月号
- 第610号22年1月号
- 第609号21年12月号
- 第608号21年11月号
- 第607号21年10月号
- 第606号21年9月号
- 第605号21年8月号
- 第604号21年7月号
- 第603号21年6月号
- 第602号21年5月号
- 第601号21年4月号
- 第600号21年3月号
- 第599号21年2月号
- 第598号21年1月号
- 第597号20年12月号
- 第596号20年11月号
- 第595号20年10月号
- 第594号20年9月号
- 第593号20年8月号
- 第592号20年7月号
- 第591号20年6月号
- 第590号20年5月号
- 第589号20年4月号
- 第588号20年3月号
- 第587号20年2月号
- 第586号20年1月号
- 第585号19年12月号
- 第584号19年11月号
- 第583号19年10月号
- 第582号19年9月号
- 第581号19年8月号
- 第580号19年7月号
- 第579号19年6月号
- 第578号19年5月号
- 第577号19年4月号
- 第576号19年3月号
- 第575号19年2月号
- 第574号19年1月号
- 第573号18年12月号
- 第572号18年11月号
- 第571号18年10月号
- 第570号18年9月号
- 第569号18年8月号
- 第568号18年7月号
- 第567号18年6月号
- 第566号18年5月号
- 第565号18年4月号
- 第564号18年3月号
- 第564号18年3月号
- 第563号18年2月号
- 第562号18年1月号
- 第561号17年12月号
- 第560号17年11月号
- 第559号17年10月号
- 第558号17年9月号
- 第557号17年8月号
- 第556号17年7月号
- 第555号17年6月号
- 第554号17年5月号
- 第553号17年4月号
- 第552号17年3月号
- 第551号17年2月号
- 第550号17年1月号
- 第549号16年12月号
- 第548号16年11月号
- 第547号16年10月号
- 第582号19年9月号
- 第546号16年9月号
- 第545号16年8月号
- 第544号16年7月号
- 第543号16年6月号
- 第543号16年6月号
- 第542号16年5月号
- 第541号16年4月号
- 第540号16年3月号
- 第539号16年2月号
- 第538号16年1月号
- 第537号15年12月号
- 第536号15年11月号
- 第535号15年10月号
- 第534号15年9月号
- 第533号15年8月号
- 2019年8月号 No.581 目次はこちら
- 第532号15年7月号
- 第565号18年4月号
- 第531号15年6月号
- 第530号15年5月号
- 第529号15年4月号
- 第528号15年3月号
- 第527号15年2月号
- 第526号15年1月号
- 第525号14年12月号
- 第524号 14年11月号
- 第523号14年10月号
- 第522号14年9月号
- 第521号14年8月号
- 第520号14年7月号
- 第519号14年6月号
- 第518号14年5月号
- 第517号14年4月号
- 第516号14年3月号
- 第515号14年2月号
- 第514号14年1月号
- 第513号13年12月号
- 第512号13年11月号
- 第511号13年10月号
- 第510号13年9月号
- 第509号13年8月号
- 第509号13年8月号目次
- 第508号13年7月号
- 第507号13年6月号
- 第506号13年5月号
- 第505号13年4月号
- 第504号13年3月号
- 第503号13年2月号
- 第502号13年1月号
- 第501号12年12月号
- 第500号12年11月号
- 第499号12年10月号
- 第498号12年9月号
- 第497号12年8月号
- 第496号12年7月号
- 第543号16年6月号
- 第495号12年6月号
- 第494号12年5月号
- 第493号12年4月号
- 第492号12年3月号
- 第595号20年10月号
- 第491号12年2月号
- 第490号12年1月号
- 第489号11年12月号
- 第488号11年11月号
- 第487号11年10月号
- 第486号11年9月号
- 第485号11年8月号
- 第484号11年7月号
- 第483号11年6月号
- 第482号11年5月号
- 第480号11年4月号
- 第479号11年3月号
- 第478号11年2月号
- 第478号11年1月号
- 第477号10年12月号
- 第476号10年11月号
- 第475号10年10月号
- 第474号10年9月号
- 第473号10年8月号
- 第472号10年7月号
- 第471号10年6月号
- 第470号10年5月号
- 第469号10年4月号
- 第468号10年3月号
- 第467号10年2月号
- 第466号10年1月号
- 第465号09年12月号
- 第464号09年11月号
- 第463号09年10月号
- 第462号09年9月号
- 第461号09年8月号
- 第460号09年7月号
- 第459号09年6月号
- 第512号13年12月号
- 第456号09年3月号
- 第458号09年5月号
- 第455号09年2月号
- 第457号09年4月号
- 第548号16年11月号
- 第548号16年11月号
- 第454号09年1月号
- 第520号14年7月号
- 対談
- 第509号13年6月号
- 第524号14年11月号
- 第548号16年11月号
- 第565号18年4月号
以前のPRちくま
「ちくま」購読料は1年分1,100円(税込・送料込)です。複数年のお申し込みも最長5年まで承ります。 ご希望の方は、下記のボタンを押すと表示される入力フォームにてお名前とご住所を送信して下さい。見本誌と申込用紙(郵便振替)を送らせていただきます。
-
受付時間 月〜金 9時15分〜17時15分
〒111-8755 東京都台東区蔵前2-5-3