「暴力団排除」と言論規制/宮崎 学

 二〇一〇年四月一日、私は福岡県(麻生渡知事)に対して、五百万円の損害賠償請求訴訟を起こした。
 理由は、〇九年暮れに福岡県警察が同警察組織犯罪対策課長名で「暴力団関係書類、雑誌販売についての協力依頼(要請)」と題する文書を「福岡県コンビニエンスストア等防犯協会」に送付したことにある。
 この要請書には、「これらは暴力団を美化する風潮があり、青少年が誤った憧れを抱き、暴力団に加入してしまう恐れがあることから、売り場からの撤去を検討すべきだと考えている。ご理解の上、適切な措置をお願いしたい」とあった。
 また、別紙としてコミック七十三冊(竹書房)と、月刊誌三冊のリストが添付されていた。このリストに、拙著『突破者異聞 鉄(kurogane)―極道・髙山登久太郎の軌跡』(徳間書店、〇二年)を原作としたコミック『実録 激闘ヤクザ伝 四代目会津小鉄 鉄 髙山登久太郎』も含まれていたのである。
 つまり拙著を含め多くのコミックや月刊誌が、警察により「暴力団を美化」して「青少年が誤った憧れを抱」くように仕向け、「暴力団に加入」させてしまう作品であると警察から認定されたのだ。
 文書は「要請」となっているが、警察からの「要請」を断れるコンビニなどあるわけもない。勝手にレッテルを貼られ、事実上の販売規制が行われていることに危惧と怒りを感じた。これは営業妨害であり、表現の自由の侵害である。国家権力がこのような認定をすべきではなく、作家がこのような仕打ちを受けた場合には徹底的に闘うべきだと考える。
自主規制の恐ろしさ
 この規制には多くの問題があるので、本稿ではその問題点について論じたい。
 第一には、筆者の作家活動への影響である。
 指摘するまでもないが、作家は出版社を通じて著作物を販売することで収入を得る。たとえ一作品であってもコンビニで販売禁止の指定を受けた場合、他の作品の販売への影響はないとはいえない。今後の企画についても、出版社としては販売禁止規制がかかる可能性を考慮しなければならなくなり、筆者の新刊の出版に慎重にならざるを得ない。
 今後は、筆者に対して「警察から言われると面倒くさいから、無難なところでいきましょう」と言ってくる編集者がいないとは限らないのだ。結果として表現活動の萎縮を招くのである。無難で毒にも薬にもならない、つまらないものを書いても読者は落胆するし、売り上げは落ちるだろう。そうなれば次の仕事は来ないだろうし、あるいは自分も表現活動に飽きてしまい、廃業せざるをえなくなるかもしれない。
 どうしても表現したいことがあるから、作家たちは表現するのだ。それを「警察が怖いから」と自粛していては、真に面白い作品は生まれない。
 第二に、憲法上の表現の自由の侵害がある。リストに掲載されている図書の選択基準はきわめて曖昧といわざるをえない。
 拙著のどの部分が「暴力団を美化」しているのか、また、何をもって「暴力団」の「美化」と規定するのか、根拠を示してほしいのである。リストには、暴対法上の「指定暴力団」だけではなく、国会議員を務めたこともある吉田磯吉や、右翼の児玉誉士夫など、もはや歴史上の人物と言うべきものを扱った作品や、「昭和残伝」「緋牡丹博徒」など東映映画の劇画化作品も挙げられる一方で、山口組を積極的に取材してきた溝口敦氏原作の作品は挙げられていない。もちろん溝口氏原作の作品をリストに入れろと言いたいのではない。基準がわかりにくいのである。
「暴力団を美化」したものがいけないというのであれば、リストの選定基準を明らかにし、美化とはどのような場合を言い、具体的にどの作品のどの個所が美化にあたるのかを明確にすべきである。そうしてもらわなければ、今後の著作活動・出版活動にあたって、どのような内容の作品が規制の対象となるのか、まったく判断できず、活動に支障が出ることになる。
 第三に、第一でも少しふれたが、自主規制の恐ろしさがある。警察の担当部課からの「要請」だけで過剰な自主規制が行なわれたことは看過できない。昨年暮れの要請書の配布の後、今年の春までに既にこれらの図書の撤去がほぼ終わっているとの情報もあった。
 さらに今年に入り、福岡県警による規制の拡大はエスカレートし、七月には「暴力団関係図書(五件)を青少年の有害図書として指定~十八歳未満の青少年への販売を禁止~」と題した文書が配布され、コンビニや書店などでの十八歳未満の者への販売等を罰則(二十万円以下の罰金・科料)付きで禁止している。
 あらゆる表現活動の中で一番怖いのは自主規制であると考える。警察の圧力を意識しない業界などないが、たとえば出版業界でいえば、性風俗を扱った雑誌の場合、警察の対応如何によって販売に大きな支障が生じかねない商品を抱えている。
 このため出版業界は、「一連の規制は表現の自由に対する重大な侵害行為であり、表現行為を業務内容とする業者として座視することができない問題である」との認識を有してはいるだろうが、「別件で引っかけられる」危険性を感じて異議を唱えることができない。これが自主規制につながっていく。
 一方、弱い立場ながら出版業界も問題視はしている。雑協(日本雑誌協会)の山了吉・編集倫理委員長は、「朝日新聞」の取材に対して「独自要請なら行き過ぎ」とし、「福岡県警からの販売自粛要請に対し、販売側の民間業者が強制力を感じた可能性は否定できない。表現の自由は厳密に保障されるべきであり、県の有害図書指定など第三者の判断がない状況で、県警が独自に自粛要請をしたならば行き過ぎた行為だ。警察は権力行使の方法にもう少し慎重であるべきだ」とコメントしている(二〇一〇年三月二十五日付)。
 このコメントと同じ紙面に、「あるコンビニの担当者」と規制対象の月刊誌やコミックを刊行する出版社側の声も掲載されている。それによると、コンビニ担当者は「販売自粛は各社の共通認識になりつつあるが、暴力団を美化していると感じるかは読者によって差があり、判断が難しい書籍もある」「すなわちほぼ全ページに暴力団情報という書籍の販売はやめるが、一部で特集を扱った一般雑誌などの販売は続ける」としている。
 また、出版社は「警察の要請は出版の自由の制限につながる。ビジネスチャンスを失うことにもなり、迷惑な行為だ。これまでコンビニは特に問題なく本を置いてくれていたが、判断を変えざるをえないだろう。我々も従わざるを得ず、歯がゆい思いだ」とした。やはり出版社側は「従わざるを得ない」のである。明らかに表現の自由・出版の自由も侵害しているではないか。
 さらには、今回の規制には新たな特徴があることにもふれておきたい。過去における「過激な表現」に対する規制とは、「読者」や「視聴者」などの「性的感情を著しく刺激する」あるいは「残虐性を著しく助長する」というものであったはずだ。つまり表現の「受け手」への影響を問題にしている。
 だが、今回の規制は「暴力団を美化」した「作家」の態度をも問題にしている。内容を確認もせず「美化している」と国家権力が恣意的に判断することで、新しいタブーが生まれ、拡大していくと思われる。
 個人である私があえて国家賠償法に基づく損害賠償請求をしたのも、これらの事情に鑑みて判断したものである。
暴走する警察への疑問
 昨今の警察による暴力団排除の動きには不穏なものを感じる。二〇一〇年四月一日から施行された福岡県の「暴力団排除条例」がその代表例である。
 この条例は「厳罰付きの暴力団規制」として一部で注目され、今回のコンビニ規制もこの条例を根拠としている。前記要請書には「警察では、本条例の制定を契機に、青少年の健全育成のための措置を一層推進し、青少年が暴力団に加入せず、暴力団犯罪の被害に遭わないための施策を更に徹底することとしております」と書かれている。
 全二十六条から成るこの条例には、「暴力団」や「暴力団員」への利益供与や事務所の提供の禁止のほか、学校や幼稚園、少年院や図書館の近くでの事務所設置の禁止などが挙げられている。
 この条例と暴対法との大きな違いは、暴力団そのものではなく「暴力団」に利益供与をした「カタギ」に対して懲役を含む罰則が設けられていることである。「暴力団」を利用する目的でカネを渡した場合、「一年以下の懲役または五十万円以下の罰金」が科される(条例第十五条)。
 具体例としては「ヤクザに地上げを依頼して成功報酬を支払った場合」などが挙げられている。だが、このようなケースでのカネのやり取りをどのように立証するのか。そもそも詐欺や脅迫行為などがあれば別だが、地上げ行為そのものは違法ではない。多くの地上げ屋はヤクザではないし、ヤクザであることを知らなかった場合はどうなるのか。
 この条例にも問題が多く、制定に際しては警察内部にも「違憲ではないか」との懸念もあった。
 条例施行前の〇八年、福岡県警組織犯罪対策課長・黒川浩一は、「朝日新聞」のインタビューに対して「暴力団員といえども国民としての権利があり、条例が憲法違反と評価されてはいけない。調整が難しかった」と述べている(〇八年十二月十六日付)。
 同様の条例制定の動きは全国の各自治体に広まっていることも報じられているが、北九州市は「北九州市暴力団排除条例」を七月一日に施行している。県条例の「役割」である行政、市民、事業者の暴力団排除への取り組みを「責務」と明記しているだけで、罰則規定がないことを除いては、内容はほとんど県条例と変わらない。屋上屋を架す、である。
 だが、なぜか同様の条例案が福岡県内の全六十市町村で成立、十月一日までに各市町村で施行されることが報道された。
 地元メディアは肯定的に報じていたが、博多あたりで話を聞くと「税金のムダ」「こんなことでは暴力団は排除できない」などの声が多い。
 なぜ福岡県と福岡県警はここまで暴力団排除にこだわるのか。暴力団排除を名目に予算を取っているとしか考えられない。「暴力団を排除するのにカネが必要だ」と言われたら反対はできない。「暴力団を庇うのか」と言われるからだ。
 なお、こうした実情は、国会も同じである。暴対法の改定に反対すれば、「関係があるのではないか」と疑われる。暴対法成立にはこんな背景もあった。
 これらの問題については、猪野健治氏らとの共著『「暴力団壊滅」論』に詳しいので、お読みいただきたい。
ヤクザになりたい人間などいない
 規制の対象となったコミックの原作である拙著は、タイトルどおり四代目会津小鉄会長・髙山登久太郎の人生を追ったものである。私がずっと取材テーマとしてきた「底辺の視点からみた日本近代の問題」を扱った一冊である。
 髙山は、一九二八年に大阪市東成区今里で韓国人の両親のもとでこの世に生を享ける。四一年には太平洋戦争が勃発、徴用に駆り出され、軍需工場で働く経験もしている。戦争が終わると両親は韓国に帰国したが、高山は日本に留まった。不良仲間も多く、親と一緒にいたがる年頃ではなかったという理由だったが、その後は親の庇護がなくなったことで差別に直面することになる。
 食うために貧しい仲間たちと愚連隊を組織し、ケンカを繰り返して懲役にも行き、出所後にヤクザと知り合い、若い衆となった。そして会津小鉄という歴史ある組織のトップに上り詰め、引退した。
 髙山は拙著の出版の翌年に死去したが、執筆中はたくさんの興味深い話を聞くことができた。自著の中でも特に愛着のある作品であり、刊行当時は書評でも好意的に紹介されている。
 たとえば日刊紙でも「在日韓国人として食べるための選択肢がなく、任侠の世界へ踏み込んだいきさつから権力との闘いなど、激動の人生の場面を丁寧に追っている。一途に生きた男の時空と彼をめぐる人間の絆が浮き彫りにされる」(〇二年四月七日付「東京新聞」)と肯定的に取り上げてもらった。
 拙著の読後感や髙山の生き方に賛否はあるだろうが、在日に対する差別や戦争など、日本の近代が抱える多くの問題の一端を浮き彫りにできたと自負している。
 ヤクザの是非はさておき、身を寄せて助け合わざるを得なかった者たちの現実と悲しみが美化だというなら、それは悪意でしかない。
 「ヤクザは哀愁の共同体だ」とは、同じ在日のヤクザで三代目山口組二代目柳川組組長・谷川康太郎の言葉だがまったく同感である。誰がなりたくてヤクザになるものか。しかし、現在の権力は、なぜヤクザが生まれてきたのかの事情を一顧だにせず、ヤクザという存在そのものを否定する。
 こうした動きに対して常に抗議し、「食うために選択肢がなくヤクザになったことが悪いのか」「ヤクザには人権がないのか」「生きる権利はないのか」と権力に問うてきたのが髙山であった。暴対法施行に際しては憲法違反として訴訟を起こし、「暴力団だから」とホテルの使用を断られた時にも法廷で闘った。
 ただし髙山は、決して「われわれの人権を認めて、守ってくれ」と頼んでいるわけではない。
 「人権がないなら、お前らには人権がない、とはっきりいうてくれたらええんだ。それならそれなりのやり方があるわけやからね。しかし、人権はある。だからお前らは義務を果たせ。けど、生きる権利は与えん。そんな馬鹿なやり方をしとるから、間違うとる、とわしはいうとるわけや」
 「わしらは人間か、そうでないのか。人権があるのかないのか、はっきりしてくれ。ないのなら、ないと、はっきりいうてくれ」と問うているのだ。
 「現にわれわれは生きている。それをなんで生きることを止めろというんだ。殺すんか?」
 こうした問いに、国家権力は「不遇であっても立派になった者は少なくない」と反論する。確かに、差別や貧困に苦しみながらもヤクザにならなかった人間はいる。だが、それは彼らがヤクザとは別の共同体や仕事を幸運にも見つけることができただけである。行き場のない者たちは目の前の「藁」を掴むしかない。その藁が「ヤクザ」であったか、他の「幸運」であったか。それだけの話であり、ちょっとした運命の差なのだ。
 私が本書を通じて述べたかったのは、「ヤクザは悪くない」ということではない。「なぜ悪いことをするヤクザが生まれたのか」ということである。「悪いこと」とは、誰がやっても悪いことなのであり、ヤクザがやっているから悪いというわけではないことを一般市民にもわかってほしかった。
 決して「悪いことをしていなくても、ヤクザはヤクザだから悪い」ということではない。罪を犯した者はヤクザでも警察官でも法に則って裁けばいいだけである。
 さんざん差別されてヤクザになるしかなかった者たちの権利を根こそぎ奪おうとする国家のあり方は、今後も検証するつもりだ。
 最近の日本相撲協会をめぐる問題でも、ヤクザが大相撲を観戦すること自体がいけないかのような社会的風潮が作られている。こうした風潮は、特定の集団を社会的に差別し、排除する傾向を助長するものであり、日本社会のあり方にも重大な影響を与えるものと考える。
 「福岡県警の今回の措置を裏づける論理は、このように、犯罪をおこなっていなくても特定団体に加わっていれば生きる権利は大幅に制限されるとすることによって、個人の自由権の根本を侵害するものであり、またそうした論理に抗って生きてきた人間を共感において描いた作家の表現の自由を侵害するものであり、二重の意味で個人の尊厳を否定する行為であると考えるものです。今回の措置によって、故髙山登久太郎と私宮崎学の個人の尊厳は、同じ論理によって、ちがったかたちで傷つけられたのです。私が受けた損害は、すべて、ここから派生したものであります」
 六月三十日、福岡地裁における第一回口頭弁論で私はこのように意見陳述した。もとより勝訴は期待していない。権力とはそうしたものだからだ。しかし、抵抗し続けることが私の生き方であり、それ以外にはないのである。
 以上が、今回の私の国家賠償請求訴訟に関する問題提起である。(みやざき・まなぶ 作家)

「暴力団壊滅」論 詳細
猪野健治・宮崎学 編

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