スペインを世界一に導いた改革の「歴史」/加部 究

 サッカーの母国イングランドで「FA(フットボール協会)」が設立されたのが一八六三年。間もなく戦術に似通ったものが認められるようになり、一八七〇年代にはピッチ上の選手の配置が試合の展開に大きな違いをもたらすことが認識されていたという。そして人類で最初に考案されたフォーメーションは235。フォワードが五人でキーパーの前の最終守備者がわずかに二人という超攻撃偏重型だが、本書は原題通り「ピラミッドを逆にする」方向へと進んだ、壮大なフットボールの歴史を丹念に綴った労作である。
 日本では、フィリップ・トルシエが日本代表に3バックを導入したことに対する是非に始まり、人の配置(フォーメーション)への興味が広がって、以来ブームのように語られるようになった。しかし本書は、フォーメーションだけでなく、戦術の変遷の背景にある文化、志向、価値観を踏まえ、大きなうねりの必然性を浮き彫りにしているという点で、多くの類書とは完全に一線を画する。
 例えば、概して戦術の革命児としてクローズアップされているのは、発案者より、最初の成功者であることが多い。マン・ツー・マンから脱却し、ゾーン・マーキングを発案したのはフルミネンセ(ブラジル)を指揮したゼゼ・モレイラで、プレッシングを編み出したのは、ロシア人監督のヴィクトル・マスロフ。相当な通でも、こんな事実は知らない。またオランダサッカーの創始者は、一九一五年にアヤックスの監督に就任したジャック・レイノルズで、既に彼はユースシステムを整備し、各年代のチームに同じスタイルでプレイをさせ、技術を優先し攻撃的にプレイすることを奨励している。それから約半世紀を経て、リヌス・ミケルス(アヤックスとオランダ代表監督)が「全体規模のポジションチェンジを促す」トータルフットボールを世に出し、その中心選手だったヨハン・クライフは、やがてバルセロナへと移籍していく。クライフは現役を退くと、監督としてバルセロナへ戻り、レイノルズがアヤックスで築いたのと同じシステム、哲学を植えつけるのだ。つまり最近のバルセロナの六冠達成や、そのバルセロナの選手たちを軸としたスペインの世界一は、クライフの改革なしには語れない。著者ジョナサン・ウィルソンは、こうしてピラミッドの出発点から、今に繋がる経緯、謎を詳細に解き明かしていく。
 誕生以来フットボールは、いくつかの論点を提供してきた。攻撃か守備か、実用か美か、組織力か個人技か、体力か芸術性か。英国で生まれても、欧州大陸へ渡り、南米へ伝えられるとともに、フットボールはそれぞれの文化に染められていった。英国出身の著者は、母国イングランドが「筋肉的キリスト教」に感染したことを皮肉りながら嘆くが、対照的にラプラタ川(アルゼンチン、ウルグアイ)河口ではボールを自在に扱う個人プレイが広まり、ブラジルでは「意外性、悪意、抜け目のなさ、敏捷性が組み合わされ、同時にきらめく才能と個々の自発性」(社会学者ジウベルト・フレイリ)を伴って発展を遂げた。一方イタリア代表は、早くも一九三四年の試合で、ボールだろうと人だろうと動いているものはなんでも蹴り、可能な限り最小人数で攻撃をしていたというから、随分と早くから特性が形成されていたものだと思わず苦笑する。
 生誕から約一世紀半を迎えるフットボールだが、イヴィツァ・オシムを筆頭とする理想主義者たちの嘆きは、全体が守備偏重へと向かっていることだ。それを彼は「ゆるやかな死」と表現していた。しかしフットボールは意外性のスポーツであり、悲観や絶望の後に望外の灯が見えることも多々ある。そして図らずも著者自身が、その意外性に若干翻弄されてしまったようだ。
「イングランド・フットボールの葬式の準備をするのはまだ早いのではないか〈中略〉ウルグアイを見てほしい〈中略〉あれが衰退というものだ」
 そのウルグアイは四〇年ぶりに世界の四強に入った。
(かべ・きわむ スポーツライター)

『サッカー戦術の歴史』 詳細
ジョナサン・ウィルソン著 野間けい子訳

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