いいことも悪いこともみんな書いた 筑摩書房の激動の七〇年/永江朗

 筑摩書房の社史を書かないかといわれたときは、即座にお断りしようと思った。私にその能力はない。前編である『筑摩書房の三十年』はすこぶるおもしろく、書いたのは和田芳恵だ。和田は樋口一葉の研究で知られ、直木賞や読売文学賞、日本文学大賞などを受賞した偉大な作家である。いくらずうずうしい私でも、ここは断るべきだろうと思った。荷が重すぎる。
 でも受けてしまった。受けてしまったのは、巨額の原稿料を提示されたからであるが、それよりなにより、筑摩書房の全貌を知ることができると思ったからである。近代日本の出版史に関心を持つ者にとって、筑摩書房の歴史は魅力あるテーマだ。
 筑摩書房は一九四〇年に、古田晁によって創立された。古田は出版界に特別なコネがあったわけではない。少年時代からの親友、臼井吉見と二人三脚のようにして本をつくり、会社を運営していった。戦時中から終戦直後はもちろんのこと、一九五〇年代ぐらいまでは苦しいことばかりだった。和田芳恵の『三十年』には、金策に走り回り、疲れ果て、酒に溺れる古田の姿が生々しく描かれている。
 この、特別な伝手を持たなかった、いわば素人の、しかしよい本をつくろうという志だけは高かった二人の青年がはじめた出版社が、三〇年後にはそれなりに名の通ったものになった。ところがそこで話は終わらない。和田の『三十年』のあと、筑摩書房はせっかく登った坂を転がり落ちていく。そして一九七八年夏、会社更生法の適用を申請するにいたる。倒産である。
 素人が興した会社が成功するのも、そして創業者が亡くなったあとに倒産するのも、まあよくある話かもしれない。おもしろいのは、債務を一〇〇パーセント弁済して見事に更生し、裸一貫から出直して自社ビルを購入するにいたるという、まるで劇画のようなその後だ。
 考えてみると、なぜ筑摩書房は倒産したのか、なぜ一〇〇パーセント弁済などという更生が可能だったのか、そしてその後も成長できているのはどういう理由なのか、私は知っているようで知らなかった。もちろん、「倒産したのは、良書にこだわり、軽佻浮薄な世相に負けたから」とか、「自社ビルを購入できたのは『金持ち父さん貧乏父さん』のメガヒットがあったから」など、噂はいろいろ聞いていたけど、当事者から直接真相を聞いたことがなかった。社史を書くという口実があれば、これら噂の真相に迫ることができる! というわけで鉄面皮にも、和田芳恵の仕事の続編、『筑摩書房それからの四十年』執筆を引き受けてしまったのである。
 噂の真相がどのようなものだったかは本書を読んでいただくとして、取材に着手してからの一年間はほんとうに楽しかった。倒産の経緯を調べれば調べるほど、「こんなことがあるのか」と背筋が寒くなったし、倒産から立ち直ろうとするときの苦労話や読者・書店からの支援のエピソードを聞くと胸が熱くなった。もちろん人間の集団であるから、ときには生臭い話もあって、それは本書にも可能な限り盛り込んだ。社史としてはいささか異例なものになったが、自分たちの過去を自画自賛するだけの社史にはしたくなかった。
 この社史は、和田芳恵『筑摩書房の三十年』とともに市販されることになった。本来は内輪のものである社史を全国の書店で販売することに違和感を持つ人もいるかもしれない。しかし、会社、とりわけメディアに関わる会社は、できるだけいろんなことを社会にさらすべきだと私は考える。成功も失敗も、いいことも悪いことも、社会の皆さんにさらして、いろんな意見をいただくべきだと思う。それが「情報」をメシのタネにしている者の責任ではないか。
 筑摩書房の七〇年間には、近代日本の出版史、出版産業史がそのまますっぽり入っている。いいところも、悪いところも。いいところは受け継ぎ、悪いところは二度と繰り返さないように、いろんな人に読んでいただけたらうれしい。
 (ながえ・あきら フリーライター/早稲田大学教授)

『筑摩書房の三十年』 詳細
和田芳恵 著

『筑摩書房 それからの四十年』 詳細
永江朗 著


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