テストされる「愛国心」/香山リカ

 大震災後の「がんばろう、日本」の大合唱。この正体は何なのか、と書物にあたるうちに、清水幾太郎が昭和二十五年に著した『愛国心』に行き着いた。そこには、「愛国心」という言葉に対する当時の若者の反応がA君からF君まで六つのタイプで紹介されているのだが、それが六十年以上たった今とまったく変わらないことに驚いた。それに照らし合わせてみると、いまは一時的に「愛国心という言葉には胸がつまり涙がこぼれる思いがする」というA君タイプが増えているだけのようだ。人間は、生物学的にだけではなくて社会学的、心理学的にも、時代を経てもそれほど変わらないものなのかもしれない。
 だから、『愛国心』よりさらに前に出版された『流言蜚語』の内容や自身の関東大震災体験記がいささかも古びておらず、まさにいま私たちが体験していることを言い当てていても、少しも驚くことはないのであろう。
 いや、著者の理論は現在、さらに説得力を増しているともいえる。著者は流言蜚語の本質を「生きたもの、成長するもの、動くもの」ととらえているのだが、考えてみれば今回の大震災で多用されたツイッターなどのSNSと呼ばれる新しいメディアは、まさに言葉や情報が流れ、広がることを前提とするものだ。誰が情報の発信源なのか、その匿名性もある程度、保たれる。流言蜚語にとって、これほど成長に適した土壌はないのである。
 しかしもちろん、現代を生きるわれわれは、ツイッター上で流言蜚語が育ち、流れるにまかせていたわけではない。そこではいろいろな手段で、正しくないと思われる情報、多くの人に伝わるのに適さないと考えられる言葉が広がるのを防ごうとする動きも見られた。それが「拡散防止」という注意や「不謹慎」というたしなめである。
 とはいえ、デマやウワサを抑止しようとする側も必ずしも正しい情報の担い手である保証はない。だいいち、生まれたばかりの新しいメディアで、「正しさ」や「適切さ」の線引きができるはずがない。その結果、ともすれば過剰な相互監視体制がしかれることになり、少しでもその場にそぐわないとされる発言を書き込むと、あちらこちらから「言葉を慎んで」「不謹慎ですよ」といった“親切な助言”が飛んでくる、といった事態も出現した。
 また、本書が執筆された時代よりさらに強まっているのが、既存メディアへの不信感である。とくに原発事故の問題に関しては、誰もがまことしやかにつぶやく。「政府の発表、あれはいちばん大切なことを隠しているらしいですよ」「テレビは政府や東電の“大本営発表”を垂れ流すだけだから、まったく信用がおけない」。そして実際に、事故対応を担当する細野首相補佐官も、放射能汚染の程度を「国民がパニックになるのを危惧して」発表を控えたことがあった、と記者会見で認めた。
 新聞、テレビも信じられない。だからといって、ツイッターなどの新しいメディアに真実があるかと言えば、それも違う。では、本当のところはどこにあるのか。独自のスタンスで調査、研究を行うジャーナリストや学者は、「何が起きているか、これからどうなるか、実際のところは誰もわかっていない」という。どうやら、「真実はどこにもない」というのが真実のようなのだ。
 そういう曖昧な事態に、私たちは耐えられるのか。本書によるとどうやらそうではなく、「どこかに本当の答えがあるはずだ」と私たちは右往左往し、まことしやかなウワサやデマに振り回され続けそうである。いや、そうはなるまい。この先の見えない状態に、いたずらに真実を求めようとしすぎることはなく、じっと耐え続け、自分の日常と社会の安定を守ってみせる。それこそ冒頭に紹介した「愛国者A君」の態度だと思うのだが、そういう人が果たしてどれくらいいるのだろうか。本書の後半には、大地震という国難を前に「テストされる日本人」という項があるのだが、これもまさにいまの私たちのことを言い当てているようである。人はいつの時代も、さほど変わらないものなのだ。
(かやま・りか 精神科医/立教大学教授)

『流言蜚語』 詳細
清水 幾太郎 著

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