広告=都市のリアリティ/南後由和

 そろそろこの原稿を書かなければと思っていた六月某日、丸の内を歩いていると、「丸の内(ヒトをくすぐる)商店会」というポスター広告を発見した。その中には、「ビジネス街の真ん中で、商店会というちょっとノスタルジックな名前がついていますが、そこには私たちが忘れてはいけない何かがあると思っています」との一文が。この広告が貼られていた場所は、二〇〇二年に新しく開業した丸ビルの前である。映画『ALWAYS三丁目の夕日』や『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』に出てくる夕日町銀座商店街のようなノスタルジックな商店街の光景とは似ても似つかないビジネス街の商業空間に、「昭和三〇年代的なもの」――当時の記憶を持たずとも、あるいは私たちが再現を望んでいなくとも引き寄せられる何か――を喚起させる「広告」が忍び込んでいた。丸の内で見た広告による空間の表象と、実際の物理的空間との間には、時間的・歴史的な因果関係はない。
 なるほど、広告は自在に姿かたちを変え、どのような空間やメディアにも寄生し、時間や歴史的文脈と無関係に立ち現れる幽霊のごとき性格を持つ。社会学者の北田暁大による『増補  広告都市・東京』は、そのような広告の幽霊的性格を媒介に消費社会における都市の位置が変容していくダイナミズムを、都市=広告と化した街「シーヘヴン」を描いた映画『トゥルーマン・ショー』の考察をフックに鮮やかに描き出した書物(二〇〇二年刊)の文庫版である。
 著者は、〈八〇年代/ポスト八〇年代〉という切断面を重視し、主に渋谷を記述の中心に据える。八〇年代の渋谷では、パルコに代表される商業的な空間演出と、都市を文学作品のようにテクストとして「読む」記号論的言説とが共犯関係を持つことにより、都市が舞台装置=広告として編成、認識されていった。しかし、九〇年代以降、バブル崩壊や、(閉じられた舞台の)外部を流入させるケータイの普及などにより、パルコ的なる物語は失効し、渋谷は脱舞台化していった。著者によれば、都市はテクストのように「読む」のではなく、CFのように「見流す」対象となる一方で、渋谷は象徴的価値を失い、情報量や店舗の多さという数量的な価値しか持たない都市に成り下がったという。ドン・キホーテ、ヤマダ電機などの渋谷への出店に見られるように、都心/郊外の境界自体が消失していったのだ。
 しかし、「広告」はその幽霊的性格を消失させたわけではない。たとえば二〇〇〇年代に入ると、各地で巨大ショッピング・モールの出現が相次いだ――ネットショッピングの普及にもかかわらず。今年のイオンによるパルコの買収が象徴しているように、パルコ的なるものはイオン的なるものに取って代わられた。ショッピング・モールでは、パルコが目指した記号論的な空間演出はどのような死後の生を生きているのか。広告はそこを遊歩する消費者の身体に従来といかに異なる働きかけをし、空間のあり様はメディア環境の変化によっていかに再定位されているのか。本書は、八〇年代を境目とする渋谷を素材とした特定の時代論や都市論にとどまらず、私たちを取りまく広告と都市、身体とメディアの「現在」を考える上で必読の書である。
 ちなみに本書は、都市論に限らず、現代思想や情報社会論でも引用される機会が多い。ケータイのコミュニケーションにおいて、意味内容の伝達より、互いにつながっているという形式的事実を重視する〈つながりの社会性〉などの言葉は、その最たる例である。ただし、そのようなキーワードに重きを置いて本書を読むよりは、記述対象と著者との間の微妙な距離感を堪能することをおすすめしたい。著者は渋谷どっぷりの人間どころか、渋谷は〈他郷〉であり続けたという。社会学者のゲオルク・ジンメルの言葉を借りれば「異郷人」とでもいえる著者は、経験至上主義的なフィールドワークにも、都市に表層的な意味を読み込もうとする批判言語にも拘泥することがない。異郷人ならではの著者の文体は、両者の際から紡ぎ出されるがゆえに、あえて都市を見よう/読もうとはしない人にとっての広告=都市のリアリティへと読者を誘ってくれるだろう。
(なんご・よしかず 東京大学大学院情報学環助教)

『増補 広告都市・東京 ─その誕生と死』 詳細
北田 暁大 著

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