最後の「武士」の軌跡/伊東成郎

 慶応二年(一八六六)九月、新選組から活動資金の借り受けを依頼された京都三井両替店が、交渉の過程をリアルタイムで綴った「新選組金談一件」と題された記録がある(『三井文庫論叢』第三十七号)。仲介役を担ったのは、双方と意を通じる新選組屯所西本願寺の寺侍・西村兼文である。資料には西村を通して語られる、京都新選組の実情が多数、紹介されている。
 中に、こんな記述がある。
◯近藤、土方等者随分埒早き仁ニ付、一旦加様と申候得者、事済候……
◯(新選組)頭取候仁ニ而、兎角武士道専要と申居候……
 この同時代史料は、局長近藤勇とともに新選組を担った一人の男が、即断即決を尊び、強く武士道を信奉したことを、後世に伝えていた。副長土方歳三である。
 徳川家から俸禄を受けていた武家の出自ではない。土地の多くが天領である武蔵国多摩郡という出自のみが、農家に生まれたその血の中に、鋼のような徳川恩顧の思いを醸成させた。
 鍛え続けた剣は、運命的な上洛の後に用意されていた、新選組という現実の幕府末端のステージでさらに進化した。そして以後、彼はかたくなに武士道遵守を標榜し続けるのである。
 その姿勢は揺らぐことなく、北へ流れ続け、数え年三十五で散華した生涯でもあった。残された肖像写真の姿もプラス素材となり、土方歳三に魅かれる人は少なくない。
 平成十六年、新選組は大河ドラマの主役となった。空前の脚光を浴び、広く認知された彼らに対し、これまで顧みなかった学界などからも、史的な検証が行なわれるようになった。
 組織そのものの通史は、今日ほぼ判明しているといってもいい。しかし中枢にいた土方について、さらに確実で克明な足跡を知りたいと思うのは、興味を持つ者の率直な思いでもある。『土方歳三日記』は、まさに福音書となる。
 編著者の菊地明氏は碩学である。在野史家のベテランとして今日、幕末維新史全般に活動の足場を置く氏は、その処女作『沖田総司の謎』(新人物往来社・昭和五十三年)のあとがきで、自身の新選組研究について、こんなことを書いている。
……(取り組んだのは)既存する史資料の再検討だった。相反する内容のものを比較すれば、当然事実を記したものの方が合理性も妥当性もあり、常識的に説得力を持っているはずではないか……
 長い間培われた鑑識眼で、氏が渉猟した夥しい数の史料の中から選択、配列し、今回土方歳三の確実な足跡がまとめられた。
 新出史料も網羅され、多少なりとも新選組に親しんだ方なら、必ず瞠目する内容である。
 例えば上巻は全編の約三分の一の部分が、新選組結成の前段に置かれている。これまで「伝説」となっていた少年時代の土方歳三の商家への奉公の実態、剣術への開眼と修行などが、郷里に蔵されている確かな史料とともに、菊地氏の考証を交えて具体的に紹介されている。また、土方が加盟し、中山道を上洛した浪士組の行程も、きわめて詳細に記される。
 さらに新選組という組織の中での、公私にわたる土方歳三の日常も克明に紹介され、この後、波瀾の戦線へといたる下巻を経て、読者は、武士道遵守を標榜し続けたその生涯を、確かに俯瞰することができるだろう。
 昭和の終わろうとするころ、ある取材で、菊地明氏と会津の史跡をご一緒したことがあった。初めて訪れる、土方や新選組が戦い、敗退した古戦場で、静謐芒洋の跡地に立ち、しみじみと氏がつぶやいた一言が忘れられない。
「はるかこんなところまで来て、どんな思いで戦ったのか……」
 場も、立地のイメージもかけ離れた陸奥の古戦場で、新選組の京都での栄華を思っての言葉だった。菊地氏の彼らへの、そして土方歳三への、深い思いゆえのものと思った。
 あれから幾星霜。この思いを絶やすことなく、菊地明氏はこれからも、果敢かつ貪欲に研究を続けていくことだろう。
(いとう・せいろう 幕末新選組研究家)

『土方歳三日記 上』 詳細
『土方歳三日記 下』 詳細
菊地明編著


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