もの食う本の食い応え/岡本仁

 食べ物について書かれた本を読むのが好きだ。小説のように頭から終わりまで一気に読まなければならないものと違って、大概は短文がいくつか集まって一冊になっているからというのが理由のひとつ。自分の読書スタイルが酷いという自覚はある。いつもトートバッグやリュックに本を入れっぱなしにしておき、手持ち無沙汰になったときに引っ張りだしては乗り物の中や喫茶店などで読むのだ。バッグ類は好きだからたくさん持っているが、そのどれにも読みかけの本が入っている。そういう男が途切れ途切れ読み進めるには、短文をまとめたものは嬉しいし重宝するのである。
 木村衣有子の『もの食う本』は、本の中の食べるシーンに注目して読んだ著者が感じたことを書き綴ったものと聞いた。それならば当然、取り上げる本のタイトルごとに区切られた短い文章が並んでいるのだろうし、ちびりちびりと読むのにうってつけと思い、鞄に詰め込んで出かけた。そして待ち合わせよりも早い時間に到着した喫茶店で読み始める。
「本は、夢中のままにがつがつと一気に読み切りたい質なので、自分が書いた本について、枕元に置いて寝る前に少しずつ読んでいます、そういう感想をしばしばもらう度に、暗につまらないと言われているのではと、もやもやしていた」。
 書き出しにドキリとした。すぐ次の一節で、著者は少しずつ読んでいく本もあるかと「思い直す」のだけれど、最初のフレーズが出会いがしらの平手打ちのように効いているから、襟を正して一気に読まなくてはならないと頬をさすり背筋を伸ばした。しかし残念ながら、じきに約束の相手が現れてしまったため、一気読みは夢のまた夢となった。
 結局、いつものように日数をかけてちびちびと読んだ。自分はわりと食べ物について書かれた本を読んでいるほうだと思っていたのに、なかなか知っている書名が現れない。あるいは、小説としては読んだことがあっても、著者が注目するような食べ物に関する記述があったかどうかまったく憶えていない。最初のうちはそんな感じだった。著者の文体はすぱっと鋭く、それが時に辛辣に響くこともある。池波正太郎を一刀両断するところでは、思わず声を出して笑った。そのうちこの厳しい言い切りに慣れてくると、驚くほどデレデレとした柔らかさがときどき顔を覗かせることに気づく。好きと嫌いがはっきりしているのか。いやいや、ことはそれほど単純ではないはずだ。
 ある日、新幹線の中で続きを読み始めたら、急に視界が開けるように自分の愛読書が次々に登場した。著者も同じようにそれらの本が好きであることを知って安心しただけでなく、何に注目して読み解こうとしているかがよく理解できた。例えば吉田健一の『私の食物誌』については、こうだ。
「東京で覚えた味が軸になっていて揺るがない。余所の土地の味は馴染みがないから受け入れられなかった、という狭量さを隠すためにけなしてみるような格好悪いことはしない。それでいながら、あくまでも余所は余所、なる一線は引いたままにしておく」
 その本に感じる言語化できない好ましさについて、著者はすぱっと言い切ってくれる。知らないものだと辛辣に響いていた鋭さも、心地の良い潔さへと、受け止める自分の中で変化していき、また最初から読み直したくなった。誰かの書いた食べることについての記述を読み解いていく作業は、同時に著者自身の食べ方や飲み方のスタイルを表明することでもある。何かを食べるときに感じるおいしさとは味だけのことではないと知っている。そこに書かれた食べ物を試してみたいと思わせるから面白いのではないと知っている。そんな点に共感したり、たまに反発したりしながら読み解く著者もまた、それを知っている。いつの間にか紹介されている本の印象は薄れていき、木村衣有子の他の本をもっと読みたくなっていった。でも、優れたブックガイドとはそういうものなのだと思う。
(おかもと・ひとし 編集者・著述業)

『もの食う本』 詳細
木村衣有子著

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