破局を考えぬくには/港千尋

 大震災から一年以上を経過したが、震災とそれにともなう現実について書かれた本は、種類においても出版点数においても、目を瞠るものがある。これは外国メディアもひろく伝えているが、突き詰めて言えばこれだけの本が書かれているということは、わたしたちが言葉の力を信じており、言葉によってこの事態をなんとか乗り越えようとしているということでもある。本書の原著がフランスで刊行されたのは二〇〇二年だが、いわゆる9・11によって、著者たちが開始していた破局についての思考は、否応なく別の次元へ入りこまざるをえなくなった。序文で著者は、「私たちは、破局の時間性のなかに入り込んだ」と書いている。この点で邦訳は、3・11後に日本人が「破局の時間性のなかに入り込んだ」と実感している、まさにそのときに刊行されたと言うべきだろう。
 内容はタイトルが明快に示している。わたしたちはふだん、起こりそうもないことをありえないことだと考えて生きている。だがありえないことがいったん起きてしまうと、それが起こるべくして起こったのではないかと疑い、原因を追究しようとする。福島の原発事故について、わたしたちはなぜこのような事態に陥ってしまったのか理解しようと努めているが、マクロな視点にたつと、それは破局から過去へと時間を遡って「起こりえないこと」を「起こること」として受け止めようとする、認識上の逆転である。そしてわたしたちは、「絶対にありえない」とする言説そのものが、「いやそれは起こりうる」とする反対意見を抑圧し排除するポリティクスによって作られてきたことを、事後的に認識しはじめている。
 本書の「破局論」は、このポリティクスを支えているわたしたちの言葉の使用、その言葉の使用を支えている思考の枠組み、さらにその枠組みを根本において規定している西欧的な時間の概念を考えなおすという意味で、他にあまり類を見ない根源的な思考の書だと言えるだろう。それは破局の時間性のなかに入り込んだ人間が、自らが置かれた事態を、どこまで思考の力によって生きぬくことができるかという、形而上学的実践の書であるとも言える。
 仮にわたしたちは、破局が未来に待っていることを知っている、とする。だが問題は、知っているか知らないかではなく、自分が知っていることを信じているかどうか、である。原発事故が起こりうることを知っていても、それを信じずに生きることは可能である。起こりうることの世界は、確率論的世界として描写され、特に日本は昨年の三月十一日以降、放射能の「影響」、「次の大地震」、そして「再稼働」といった、性格も規模も異なる現象を確率論的描写によって考えざるを得ない状況に追い込まれている。だが著者は、その現象について専門的な知識をもつ者にも、もたない者にも等しく問いかけている。知っていることを信じることができるかどうか。
 その答えは、一般的には予言という形で示される。まだ起きていない時点で、起きることを信じられるのは、未来へと放たれた時間の矢の的中を知る者だけだ。だが著者はこの「予言」を、現在から未来への一方的な矢ではなく、未来と過去とがひとつの環によってつながった、ループ状の時間のなかに配置する。この時間性こそが、著者によって「投企の時間」と名づけられた、本書の核心をなすアイデアである。未来はまだ知られていないが、わたしたちは「まるでそれを知っているかのように、それに対してどんな作業でも行うことができ、そしてその価値を決定づけることができる」。予測し、反応するという未来からの合図を受け取ることのできる能力、言い替えれば未来に先行して、過去に対する結論を引き出すことのできる精神、そこに著者は「自由」の力を見出す。
 原発を再稼働させるために、「暫定的判断」という宙吊りを作りだす現実の政治に対して、わたしたちはこの自由を考えぬくことができるだろうか。少なくともわたしたちにとって、破局論は理論ではなく、実践であり、それ以外ではありえない。
(みなと・ちひろ 著述家・写真家)

『ありえないことが現実になるとき ─賢明な破局論にむけて』 詳細
ジャン=ピエール・デュピュイ著 桑田光平/本田 貴久訳

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