天心の「日本」を問い直す―岡倉天心コレクション/中村和恵
岡倉天心の英文による著書三冊と未刊行原稿一本の翻訳を収めた一冊。一九〇六年の『茶の本』から順に読んでいくと、印象が次第に変わっていく。素直に感心しながら読み出したのが、最後は時代を超えていまの日本から天心に議論をふっかけたくなっている。なかなかドラマティックにして論争的な本だ。
茶の湯を論じる天心はまさに教養人の名にふさわしい。ギリシア・ローマの古典、イギリスの思想家や文学者に言及し、インドと仏教の歴史を解説、陸羽など漢籍を引用して、西洋と茶の出会いからボストン茶会までを手際よくまとめ、これらとの影響関係や対比から比較文化的に、しかし同時にあくまでも内側から、日本人の美意識と精神風土を説明する。もちろん欧米文化にとって異質な伝統を西洋古典と比べて論じた例が他にないわけではない。
しかし一九世紀になってようやく西洋の衝撃にさらされたような地域において、そうした例のほとんどは西洋の人類学者や文学者によるものだった。
対して天心は日本人。論じられる文化の内に育った当人が、自国特有の文化的伝統を、複数の西洋言語文化、中国、インドまで参照して整然と英語で論じているわけである。南方熊楠もそうだが、そういうことができる知識人が明治日本にはいた。天心も交流があったタゴールや作家ラージャ・ラオなど、インドにもそうした人はいたが、同国における植民地支配の歴史を考えると、日本人の学習はじつに素早い。これは旧植民地地域の文化を読み比べ見比べしてきたわたしのいまの実感でもある。
一冊を通して揺るぎなく、現在の国際社会でも通用する天心の主張、それはヨーロッパ中心主義批判である。東洋はある点では西洋に優っているということを信じることができるか、と天心は問いかける。黄禍論の時代、日本人による英語のこの問いはかなりラディカルに響いたのではないか。西洋美術の手法とその美意識への違和感を語り、これらを絶対視することへの疑問を呈する天心は、無惨に葉も引きちぎった花を大量に浪費する西洋の、いわば植物愛護精神の欠如を、茶席に飾られた一輪の花から連想される宇宙に対比させる。そして茶の湯や文芸に耽る日本人を野蛮人と考え満州で殺戮を始めた日本人を文明人とみなす、そういう西洋人の考え方を批判し、それならば野蛮人に甘んじようという。
こうした天心の芸術論はいままさに興味深い。西洋美術史+日本美術史=美術史で、それ以外で優れたものは例外、背景に異なる美術史と世界観を分かち合う数多の才能を育んできた立派な文化的土壌があるのだといっても、腑に落ちないという人はいまだにすくなくない(オーストラリア先住民族画家エミリー・ウングワレーの「奇跡の天才」扱いはその最近の好例だ)。
しかし天心にこんな話をしても、どうも簡単にうなずいてはもらえない気がするのだ。天心はアジア的精神文化の地域を超えたつながりを強調する。茶の湯についての話の中では、それは奇妙なことではない。しかし西洋中心主義批判は対アジアで終わる話ではない。アジアを超える視野は、天心には感じられない。西洋にはアジアのみが、とくに日本が、あるいは日本だけが、対峙しているようなのだ。この二元論、近代日本の知識人がいやというほど繰り返しはまってきたドツボである。
この危惧は『日本の目覚め』『東洋の理想』『東洋の目覚め』で裏書きされてしまう。モンゴル帝国時代を「暗黒」ととらえるなど、いまでは容れられない歴史観や社会認識の散見も気になるが、やはり最大の問題は「アジアは一つである」という一文を支えている天心のアジア観だろう。天心のいう一つのアジアには日本という絶対の中心がある。『東洋の理想』『東洋の目覚め』ではその中心を弁護し称揚することに力点がおかれ、結論ありきの議論は色あせてみえる。ここから日本が勝者であれば理想やその実現法は曲げてもいいという理屈への距離は短い。
欧米中心主義への批判精神を発揮することは、排他的愛国心への警戒を保持することと競合どころか協同すべき作業である。世界に中心と周縁、優劣があり純粋な文化などというものが存在するというファンタジーをゴミ箱に入れれば、これは明白なことだ。近代日本のガラパゴスな民族意識に関わる重要な議論がここにある。天心殿とは引き続き議論せねば。
(なかむら・かずえ 比較文学者)
『茶の本 日本の目覚め 東洋の理想 ─岡倉天心コレクション』 詳細
岡倉天心著 櫻庭信之/斎藤美洲/富原芳彰/岡倉古志郎訳
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