憲法から今の日本を考える/伊藤真

「情報を持たず、情報を入手する手段を持たないような人民の政府というのは、喜劇への序章か悲劇への序章にすぎない。知識を持つ者が無知な者を永久に支配する」
 これはアメリカ合衆国憲法の起草者の一人であるジェームズ・マディソンの言葉です。
 今、日本では喜劇か悲劇かわかりませんが、その幕が上がろうとしています。特定秘密保護法が与党の強行採決によって可決、公布され、一年以内に施行されます。防衛、外交、スパイ活動の防止、テロ防止の四分野についての機密情報を行政機関が特定秘密に指定すると、公務員と市民による情報漏洩、情報取得が最高懲役一〇年の刑罰で規制されるというものです。果たして秘密に値する実質秘かどうかを第三者が検証できるわけではなく、国会による行政監視機能も担保されていません。この法律によれば、秘密に指定できるのは、「安全保障に著しい支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することを必要とするもの」に限られるようですが、そのような抽象的表現で秘密の対象を限定することは期待できません。その結果、国民は、たとえば原発に関する情報や在日米軍基地に関する情報をも得ることができなくなるおそれがあります。永久に支配される側に置かれてもよいという覚悟が私たちにはあるのでしょうか。
 従来から一人一票裁判では、主権者たる国民の多数が国会議員の多数を選出できない仕組みになっている問題が指摘されてきました。たとえば、二〇一三年七月の参議院選挙の選挙区選出議員の過半数である七四人は国民のたった三四・七%によって選ばれています。日本の政治は、主権者の多数決によって決められておらず、国民は主権者として扱われていないのです。国会議員が自分たちに都合よくこの国の権力を操り、自分たちの都合のいいように国家を動かそうとする状況を、私たちはどう受けとめればいいのでしょうか。
 二〇一二年四月に発表された自民党憲法改正草案では、国民に新たに一〇ほどの義務を課し、国を成長させる役割は国民が担わされます。憲法制定の目的も国の伝統と国家の継承にあると前文で明言しています。つまり、国家のための憲法なのです。政治家たちが自分の考えるよい国、強い国を作りたい、そのための協力を国民に義務づけるための道具へと憲法を変貌させているのです。
 与党は、政府が憲法違反と解釈してきた集団的自衛権について、憲法を変えずに政府解釈だけを変えて認める準備を着々と進めています。「裁判所だって解釈を変えるのだから、内閣だって変えていいはずだ」という声もあります。確かに時代の変化に対応して非嫡出子差別は違憲と判断されました。しかし、これは合憲判断から違憲判断に変えることによって、権力への歯止めを強化する解釈変更ですから、立憲主義に適うものです。これに対して、集団的自衛権行使を合憲とする解釈の変更は、その歯止めを緩め、憲法によって縛られる側が自らへの縛りを緩やかにすることを目指す変更です。立憲主義は実質的に骨抜きになるでしょう。このように憲法がもつルールとしての力を弱めることについて、私たちはどう受けとめればよいのでしょうか。
 この国は政治家や官僚が主人で国民はそれに付き従うだけの存在なのか、それとも国民が主人で政治家や官僚は主権者に従うべき公僕なのか、いま、まさに国民みずからがどうありたいのかが問われています。
 この本では、近代憲法である明治憲法と日本国憲法が、その条文で何を定めているのかということを中心にすえて、それをなるべく客観的に解説しました。ここに紹介した政治のトピックを含め、多くの方がこの本に接し、憲法のあり方をみずから考え、自分なりの答えを見つける一助になることを願っています。(いとう・まこと 弁護士/伊藤塾塾長)

伊藤真 翻訳『現代語訳 日本国憲法』詳細


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