二〇五X年の初夢/長谷川櫂

 二〇五X年秋、上海の国連本部で総会が開かれ「地球暦」(またの名を世界暦)が採択された。これによって国連に加盟しているすべての国では来年から地球暦を採用することになった。たとえば太陽暦を使っている国々では来年の二月一日が地球暦の一月一日になる。
 この地球暦は人類が過去に編み出したどの暦よりも単純で完全な暦である。一年が三百六十五日(閏年は三百六十六日)であるのも十二か月であるのも従来の太陽暦と同じである。異なるのは二点。一つは新年が太陰太陽暦(旧暦)にならって太陽暦の二月にはじまること。もう一つはひと月が三十一日の「大の月」は一、三、五、七、九月という五つの奇数月になったこと。これ以外の七つの月はひと月が三十日の「小の月」である。今まで二月は二十八日(閏年は二十九日)しかなかったが三十日になった。閏月は二月から十一月に移動した。十一月はふだんは三十日(小の月)だが四年に一度三十一日(大の月)になる。
 これで大小の月を知るのに「西向く侍」という文句を唱える必要もなくなった。何より二月が三十日になり、小の月がすべて三十日にそろったことが、地球暦が簡明であると評価される理由である。これからは奇数月(十一月は四年に一度)が大の月、偶数月は小の月と覚えればいい。
 そもそも従来の太陽暦で二月だけがなぜ二十八日しかなかったのか。ローマ時代にまでさかのぼるその由来などほとんどの人は知らなかった。理由も知らずに何十億という人々が愚かにもこれまで太陽暦に盲従してきたということになる。
 地球暦が採用されたのは一言でいえば中国の圧力による。中国はこの五十年間にアメリカを抜いて世界最強の経済力を獲得した。それには中国人の資質が深くかかわっている。もともと中国人は自分の欲望に忠実な人々である。一方、資本主義は人間の欲望を原動力とする。二頭の虎はこの百年間、共産主義というイデオロギーの柵によって隔てられてきた。ところが、あるとき、柵が取り払われ、二頭の虎が合体した。その後、二頭は互いを互いの餌にしてみるみるうちに膨れ上がり、誰の手にも負えない怪物に成長してしまった。
 一国の資本主義の力は「個人の欲望×その国の人口」である。とすれば、圧倒的に人口の多い中国がやがてアメリカを追い抜くのは明らかだった。そして予想は現実になった。それに伴って国連本部はニューヨークから上海に移った。かつて世界の中心がヨーロッパからアメリカに移ったとき、ジュネーブの国際連盟が国際連合となってニューヨークに移ったように。
 中国は長い間、太陰太陽暦の国だった。それが近代になって太陽暦に切り替わった。ところが、太陽暦に従うようになったのは政府と関係者だけだった。中国人の大半はこれまでどおり旧暦での生活をつづけた。早い話、一年のはじまりも一月一日ではなく旧正月(春節)である。
 世界の覇権を握った中国は政府と人民の時間のずれを解消するために暦の統一にとりかかった。これまで世界で使われてきた暦は大きく分けると、太陽暦と太陰太陽暦だった。それは太陽の暦と月の暦。この二つを統一するためにはじめは月の速度を修正することも真剣に検討された。太陽の暦と月の暦がずれるのは地球が太陽を一周する間に月が地球を十二周以上まわってしまうことに原因がある。そこで、ちょうど十二周するように月の速度を科学技術によって遅らせようとしたのだ。
 ところが、この計画は莫大な費用がかかるうえに地球にどんな影響が出るかわからない。そこで新旧の暦を統一することになった。これなら安上がりだし、地球への影響もない。新年がひと月遅れ、クリスマスと離れてしまうが、今のところ旧太陽暦のキリスト教諸国からもさして不満は出ていない。
 問題といえば、ただ一つ。それは八月、十月、十二月の三十一日が消滅してしまうので、この日が誕生日だった人々から国連事務局に苦情のメールが寄せられている。ただ複数の調査機関が地球暦に不満な人の数は地球の全人口の一パーセントに満たないという予測数字を弾き出している。
(はせがわ・かい 俳人)

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