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ちくま文庫「文豪怪談傑作選」がドラマ+ドキュメンタリー化!
※NHK−BShi 8月23日〜26日まで四夜連続(22:00〜23:00) 公式ホームページ
シリーズの今年の内容紹介、および、ドラマの製作秘話など、
コアな情報を週刊でお届けします。


<バックナンバー>
第1回  「妖しき文豪怪談」放映決定!(07.01更新) 記事はこちら▼
第2回  『芥川龍之介集』まもなく発売!(07.08更新) 記事はこちら▼
第3回 落合正幸監督と「片腕」を語る(07.15更新) 記事はこちら▼
第4回 日本近代文学館の芥川文庫をめぐって(07.22更新) 記事はこちら▼
第5回 『幸田露伴集 怪談』スタンバイ!(07.30更新) 記事はこちら▼
第6回 「妖しき文豪怪談の魅力」出演記(08.06更新) 記事はこちら▼
第7回 幸運なるシリーズ 記事はこちら▼


『文豪怪談傑作選』一覧をみる▼
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週刊文豪怪談 最終回 「妖しき文豪怪談」放映される!
東 雅夫


 さて、前回の文末で急遽お約束したとおり、今回が本当の最終回である。
 8月23日から四夜連続(その後、29日には一挙に四本連続で再放送もされた)で放送された「妖しき文豪怪談」――ご覧いただけただろうか。
 小生自身も完全版を目にするのは初めてだったので、心待ちにすると同時に、どこか空恐ろしいような気持ちで、放送当日を迎えた次第である。
 もっとも、小生が監修役としてお手伝いしたのは、もっぱら企画段階とドキュメンタリー・パート制作に際しての怪談文芸方面のレクチャーやら質疑対応やらであって、番組づくりの実際に関しては、ドキュメンタリー・パートを二つの制作会社――東京サウンド・プロダクション(川端康成篇と太宰治篇)とテレビマン・ユニオン(芥川龍之介篇と室生犀星篇)が、ドラマ・パートを四人の監督たちが率いる個々の撮影チームが、それぞれ担当し、それらをNHKエンタープライズが統括するという形で進められたのであった。


 今回の番組の基本コンセプトが、名だたる文豪たちと怪談という取り合わせの意外性にあることは、間違いないところだろう。
 そもそもこれは「文豪怪談傑作選」シリーズ自体の基本コンセプトでもあった。
 あの文豪が、こんな作品を!?……と読者の意表を突くことで、まんまと文豪怪談の世界へ誘い込もうという作戦である。
 その意味で「妖しき文豪怪談」と「文豪怪談傑作選」が、どちらも幕開けに、川端康成の『片腕』を選んだのは、当然の帰結といえるのかも知れない。
 日本初のノーベル文学賞作家となった、文豪中の文豪というべき川端が、その晩年、『伊豆の踊子』や『雪国』とは似ても似つかぬ、かくも奇想天外にして妖艶怪美な作品を手がけていたのだから……。


 ドラマ・パートのトップバッターとなった落合正幸監督は、驚くほど正攻法で、この稀代の怪作の映像化に挑んでいた。
 女性の腕を相方とする密室での独り芝居という難役を見事に演じきった平田満の熱演と、日本特撮のお家芸というべき繊細な造形・操演による「片腕」の存在感によって、監督の企図したであろう映像世界が鮮やかに展開されてゆく様に圧倒された。
 しかも、そこに浮かびあがった世界が、『アウター・リミッツ』や『ウルトラQ』といった、ミッド・センチュリーの面影を色濃く留める一連の「空想科学映画」を髣髴させることも驚きであった。
 思えば『片腕』の執筆年と、それら特撮ドラマの製作年は、ほぼ同時代であり、文豪が描いた妖かしの世界もまた、まぎれもない「アンバランス・ゾーン」の物語なのだった。















『文豪怪談傑作選 太宰治集 哀蚊』の中から、『鉄男』の塚本晋也監督が、よりによって『葉桜と魔笛』をチョイスされたと聞いたときには、なんとも意表を突かれた心地がしたものである。
 同書を既読の向きは御承知のように、嫋嫋たる女性の一人称独白体で綴られた「葉桜と魔笛」は、太宰の怪談系作品の中では傍流というか、異色の珠玉篇だからだ。
 あの片々たる物語が……しかも怪談たる所以が、ひとえに幕切れ間近、不意打ちめいて降臨する「魔笛」のシーンに集中している構造の作品が、果たして数十分の映像作品になりうるのか……満開の桜の情景に始まる塚本版『葉桜と魔笛』は、そんな素人の杞憂を吹き飛ばす異様なパワーに充ち満ちていた。
 塚本マジックともいうべき不安なカメラワークと音響効果によって、静謐な叙述の背後に渦巻く情念の搏動や他界の響動(とよ)もしが、間歇泉のごとく噴出する様は圧巻であった。














 とはいえ、こと意表を突かれたという点では、李相日監督の『鼻』こそ、その最たるものといえよう。プロデューサーの浜野さんから、「芥川は『鼻』に決まりましたよ」と聞かされたときには、編集Kさんともども、思わず絶句したほどだ。
 さすがに怪談馬鹿たる小生も、『鼻』を怪談小説と称することには二の足を踏む……というか実際、今夏のラインナップの一冊である『文豪怪談傑作選 芥川龍之介集 妖婆』にも、同篇は収録されていないのだから。
 その後、李監督が、『鼻』そのものではなく一種の後日談、オリジナルな怪談バージョンを構想されていることが伝えられて、今度は俄然、興味が湧いてきた。
 果たして完成した映像は、往年の文藝怪談映画――溝口健二監督の『雨月物語』や小林正樹監督の『怪談』等々――を髣髴せしめる重厚な仕上がりで、まさに異貌なる物語となっていた。泉下の我鬼先生がどんな感想を洩らすか、あれこれ想像するのも愉快である。














 そしてトリを飾る是枝裕和監督の『後の日』――原作となった室生犀星の「後の日の童子」は、小生にとって鍾愛の一篇であり、先に『日本怪奇小説傑作集』にも採録し、その後『文豪怪談傑作選 室生犀星集 童子』を編む際にも、前日談である「童子」と、姉妹篇というべき「童話」の三篇をトリオで巻頭に据えたほど、思い入れ深い作品であった。日本的な幽霊譚、ジェントル・ゴースト・ストーリーの一頂点を極めた名品であると、今でも確信してやまない。
 その「後の日の童子」を、あの是枝監督が選ばれたと聞いて、内心大きくガッツ・ポーズをしたことを懐かしく想い出す。
 期待にたがわぬ、どころか、予想を遥かに上まわる出来映えであった。日本的な他界観を象徴する「草葉の陰」という形容を、そのまま映像化するかのような幕開けからのシーン。光と影が変幻自在に織り成す是枝作品特有の演出が、かくも怪談にしっくりハマるとは……日本的怪談映画の新たなスタンダードが、ここに誕生したという感を深くする。














 こうして形を成した四本のドラマには、四人の監督それぞれが「文豪と怪談」というテーマに取り組まれた軌跡が歴然としていて、その意味でも『文豪怪談傑作選』の編者としては、まことに興味尽きないものがあった。四氏の真摯な取り組みに、更めて深い敬意を表するものである。
 毎回ドラマ・パートに続いて放送されたドキュメンタリー・パートについては、小生も関与した一員なので、ここで感想を申し述べることは差し控えたい。
 短時間で一般の視聴者向けに、文豪の生涯と作品誕生の背景を映像にまとめるというのは、ある意味でドラマ篇にもまして至難の業であると痛感させられたのだが、テレビマン・ユニオンの黒田さん、TSPの宗像さんの両ディレクターをはじめとする制作スタッフの皆さんは、これまた真摯に取り組んでくださった。


 さるにても、「文豪怪談傑作選」シリーズが始まった四年前には、まさか公共放送で、このような番組が制作され、お茶の間に「文豪怪談」という言葉が広まるとは、夢想だにしなかった。この展開自体が、怪談めいていると思わぬでもない。
 とはいえ、せっかくの好機到来である。さらなる「文豪怪談」普及へ向けて、実は今、新たな企画を編集Kさんとともに勘案しているところだ。お披露目は年明け以降になりそうだが、ひとつ今後ともよろしくおつきあいのほど、伏してお願い申しあげまする。

東雅夫(ひがし・まさお)
1958年神奈川県生まれ。アンソロジスト、文芸評論家。元「幻想文学」編集長、現「幽」編集長。著書に『遠野物語と怪談の時代』『怪談文芸ハンドブック』、編著に『文豪てのひら怪談』など
http://blog.bk1.jp/genyo/







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第1回  「妖しき文豪怪談」放映決定!(07.01更新) 記事はこちら▼
第2回  『芥川龍之介集』まもなく発売!(07.08更新) 記事はこちら▼
第3回 落合正幸監督と「片腕」を語る(07.15更新) 記事はこちら▼
第4回 日本近代文学館の芥川文庫をめぐって(07.22更新) 記事はこちら▼
第5回 『幸田露伴集 怪談』スタンバイ!(07.30更新) 記事はこちら▼
第6回 「妖しき文豪怪談の魅力」出演記(08.06更新) 記事はこちら▼

ちくま文庫「文豪怪談傑作選」がドラマ+ドキュメンタリー化!
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<更新予定>
・7月第1週〜8月第4週、木曜日or金曜日(8月第2週はお休み、全7回)
第1回  「妖しき文豪怪談」放映決定!(07.01更新) 記事はこちら▼
第2回  『芥川龍之介集』まもなく発売!(07.08更新) 記事はこちら▼
第3回 落合正幸監督と「片腕」を語る(07.15更新) 記事はこちら▼
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第5回 『幸田露伴集 怪談』スタンバイ!(07.30更新) 記事はこちら▼
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週刊文豪怪談 連載第7回 幸運なるシリーズ
東 雅夫


 お盆で一週お休みをいただいたこの連載だが、その間に「妖しき文豪怪談の魅力」が地上波で放送され、いよいよ23日からの四夜連続放映に向けて盛り上がってきた。
「雰囲気のある良いお住まいですね、うらやましい」などと、上記番組の放送終了後、幾人かの方からお声がけをいただいたのだが、この連載をお読みの方は御承知のとおり、収録場所はロケのための貸スタジオであり、断じて拙宅ではない。
 あのような趣ある日本家屋の幽暗な和室に端座して、心静かに執筆に専念できたら、さぞかし仕事もはかどることだろう……いや、かえって気が散ってしまうだろうか!?


 ちなみに番組の冒頭近く、小生がひとり書見しているシーンで、机上に積みあげられた書物は、すべて小生が持参した私物である。
 手前にチラリと映っていたのは、博文館版講談文庫の『怪談集』(明治四十四年刊)、手元で繙いていたのは室生犀星の『天馬の脚』(改造社・昭和四年刊)だ(ほかにも怪談会にちなんで、鏡花の「吉原新話」が掲載された『新小説』明治四十四年三月号やら、「幽霊と怪談の座談会」所収の『主婦之友』昭和三年八月号やらを並べておいたのだが、画面では視認できませんな)。














手前が『怪談集』、奥が『天馬の脚』。『怪談集』カバーの鮮やかなこと!


 なぜ『怪談集』を選んだのかというと、刊行がちょうど約百年前で、いかにも「文豪怪談」にふさわしい時代なのと、小生架蔵の本が、おそらく刊行直後に所有者手作りの保護紙で覆われたせいか、カバーが新品同様の状態で保存されていたことによる。
 外函以上に劣化破損に見舞われやすいのが表紙カバーで、一世紀を経てこれほど良好なコンディションの古書にお目にかかる機会は、なかなかないものだ。
 よくぞ、こんな善本が、驚くほど安価に転がり込んできたものよ、と入手当時、驚いた記憶があるが、まさか、このような形で活かされる日が来るとは……怪談と古書の神様に更めて感謝を捧げたい心境である。


 一方、文芸評論から園芸をめぐる随筆、人物評、果ては短歌、俳句に至るまで、犀星小品の博覧会といった趣がある大冊『天馬の脚』(ウェッジ文庫で復刊あり)には、「『童子』の庭」と題する随想が含まれている。


「亡児と『庭』との関係の深さは『庭』へ抱いて立った亡児の俤は何時の間にか竹の中や枇杷の下かげ、或は離亭の竹縁のあたりにも絶えず目に映り、自分を呼び、自分に笑いかけ、自分に邪気なく話しかけ、最後に自分の心を掻きむしる悲哀を与えるものだった。」


「事実自分の妙に空想的になった頭の内部には、それらの庭の光景は亡き愛児の逍(さまよ)ふ園生のように思われ、杖を曳いた一人の童子を何時も描かない訳にはゆかなかった。」


 ……「童子」と「後の日の童子」(共に『文豪怪談傑作選 室生犀星集 童子』所収)執筆の苦渋に満ちた背景の一端を明かすとともに、両作に占める「庭」の重要さを実感させる一文である。
 ちなみに是枝監督による今回の「後の日」でも、此岸と彼岸の境界領域というべき「庭」と緑蔭のたたずまいが、まことに印象深く描き出されていて必見である。


 ところで「妖しき文豪怪談の魅力」に続いて、この週末に同じくNHK総合で放送された「日本怪談百物語~その弐」という番組がある。
 ベテランから新進まで十名の俳優さん女優さんたちが、古今の名作怪談全百話を朗読するという、こちらも「妖しき文豪怪談」に劣らず思い切った番組で、昨年放送された一回目の好評をうけて、今年パート2が制作されることになった。
 実はこちらにも小生、監修的な役まわりで今年から参画していたのである。
 夏目漱石の「夢十夜」から「第三夜」、泉鏡花の「鰻」、川端康成の「心中」、萩原朔太郎の「死なない蛸」といった文豪怪談の数々を、今年は実験的に紛れこませているのだが、これが思いのほか好評で、大いに意を強くした次第。


 さるにても、かたや第一線で活躍中の映画監督たちが競作するドラマ+ドキュメンタリー、かたや第一線で活躍中の俳優たちが競演する朗読形式の百物語と、かくも本格的な怪談番組がテレビで放映されるとは、思えば凄い時代になったものだ。
 しかも、『ダ・ヴィンチ』『東京新聞』『産経新聞』等々、「妖しき文豪怪談」の試みに注目する記事も、早くも相次いでいる。
 おそらく今年は、「怪談」というもののイメージが、旧来のそれから大きく変容を遂げる起点の年となるに違いない。
 そして、その際のキイワードのひとつが、他ならぬ「文豪怪談」だろうと小生は思っている。


「文豪」という言葉をアンソロジーに冠した企画には、鈴木貞美氏の編纂による『文豪ミステリー傑作選』(昭和六十年・河出文庫)という優れた先例があるけれども、「文豪怪談」まで絞り込めば、言い出しっぺは小生と申しあげてもよかろう。
 出版物とは桁外れな数の視聴者に届く公共の電波にのせて、こうして「文豪怪談」という言葉が伝播してゆく瞬間にリアルタイムで立ち合えたのは、アンソロジストとして幸運というほかはない。


 いや、幸運といえば、そもそもこの〈文豪怪談傑作選〉というシリーズは、編集Kさんに始まり、装画の金井田英津子さん、カバーデザインの山田英春さん、そして「妖しき文豪怪談」のプロデューサーであるNHKエンタープライズの浜野高宏さんや、『幸田露伴集』の註釈を監修していただいた立原透耶さん等々、それぞれの分野で一騎当千の皆さんを図らずもその磁場へと引き寄せ、本当に良いお仕事をしていただいている幸運なシリーズであると……いつのまにやら十五巻にも達したラインナップを眺めながら、しみじみ思う。
 まあ、例によって、シリーズの今後は今季の売れ行き如何にかかっているわけで、ぜひとも倍旧の御支援をお願いしたいと、切に希(こいねが)う次第である。


 ……と、まあ、すっかり最終回のつもりでここまで書いていたら、編集Kさんからツッコミが入った。
「あのー、『妖しき文豪怪談』各篇について、放送終了後にヒガシさんのコメントをいただいたら、もっと盛り上がるんじゃないかと思うのですがー」
 ううう、御説ごもっとも。
 かくして、もう一回だけ、この週刊連載は続きます!


東雅夫(ひがし・まさお)
1958年神奈川県生まれ。アンソロジスト、文芸評論家。元「幻想文学」編集長、現「幽」編集長。著書に『遠野物語と怪談の時代』『怪談文芸ハンドブック』、編著に『文豪てのひら怪談』など
http://blog.bk1.jp/genyo/







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第1回  「妖しき文豪怪談」放映決定!(07.01更新) 記事はこちら▼
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 いよいよ8月に入り、「妖しき文豪怪談」の制作も佳境に入ってきたようだ。
 ドラマ・パートもドキュメンタリー・パートも、すでにほぼ撮影を終えて編集段階に突入中。そして去る3日には、今回のシリーズのプロモーション番組として、NHK総合テレビ(地上波)で放送される「妖しき文豪怪談の魅力」の収録がおこなわれた。
 こちらの番組にはメイン・ゲストとして、怪奇幻想文学にことのほか造詣深い俳優の佐野史郎さんを迎え、NHKきっての日本文学通アナウンサー(卒論は三島由紀夫『豊饒の海』!)藤井彩子さんと不肖小生の3人が、シリーズ本篇の映像を鑑賞しながら感想を語り合う……という趣向である。














佐野史郎さん、藤井彩子さんと共に。暑さで疲弊した顔の筆者


 制作を担当しているTSP(東京サウンド・プロダクション)のスタッフと、事前に打ち合わせをした際、台本を一見するなり……思わず爆笑してしまった。


  しもた屋造りの建物の外観
  軒下に吊るされた鉄風鈴が揺れる
  薄暗い室内の文机に向かって書物を読む東さん、和服
  机には数冊の書物、電球スタンド
 ナレーション)2人を待つこの怪奇な館の主人は文芸評論家の東雅夫。怪談・ホラー・幻想文学のアンソロジストにして、知る人ぞ知る文豪怪談のオーソリティだ。


 し、芝居仕立て、ですか!
 しかも、わわわ、和服……京極夏彦さんのように、ふだんからビシッと和服姿でキメていらっしゃる方を横目に、もっぱら胡乱な服装しか縁のない小生である。
 実家にしまいこんだままの浴衣を取り寄せるやら、角帯を見繕うやら、大あわてで支度を調えたものの、サテ困ったのは着付け。そんな気の利いた嗜みとも、自慢ではないがまったく縁のない小生である。


 そこで天啓のごとく閃いたのが、『幽』や『ダ・ヴィンチ』などのライターとして、日頃からお世話になっている門賀美央子さんのことだった。
 仏教や妖怪からグルメまで守備範囲の幅広い門賀さんは、和装についても詳しく、みずから着付けもなさることを、たまたま存じ上げていたのである。
 しかも小生が監修した『クトゥルー神話の謎と真実』のときには、佐野史郎さんへの巻頭インタビュー取材を担当していただいた御縁もある。
 せっかくだから取材も兼ねて、撮影に立ち合っていただけないかと打診したところ、急な依頼にもかかわらず御快諾をいただくことができた。ラッキーである。


 かくして、とんとん拍子に準備は進み、迎えた当日。
 現在は貸しスタジオとして利用されている、都内某所の古い日本家屋に到着すると、炎暑のなか、スタッフが撮影準備に追われていた。
 なるほど「怪奇の館」と呼ぶにふさわしい、好い感じに古びて曰くありげな建物である。
 聞けば、この界隈には、かつて花街もあったとか。
 艶っぽい女霊が、廊下の奥に悄然とたたずんでいるのは大歓迎なのだが……真に怖ろしいのは、なにぶん年代ものの建物ゆえ、冷房の利きがイマイチなことだった。


 控え室はまだしも、撮影場所となる広間は黒シートで窓が遮蔽され、要所に大きな和蝋燭が煌々と灯され、しかも撮影中はエアコンも「微風」設定となる(音響上の問題)ため、カメラが回って5分もすると、汗かきの小生など額から汗の雫がポタポタしたたる惨状に。
 それに引きかえ、さすがに長年現場で鍛えていらっしゃる佐野さんと藤井アナは、最初のうち涼しい顔をしていらしたが、それでも午後に入ってから(撮影は朝の10時から夕方5時までの長丁場となった)は「暑い暑い……」と連呼される情況となり、シーンごとの小休止のたびに、涼を求めて控え室へ逃げ込む仕儀と相なった(その間も現場に居続けの撮影スタッフの皆さんは、もっと大変だったわけで、本当にお疲れさまでした!)。


 そんな過酷(!?)な現場ではあったが、トーク自体は実に愉しく、かつ有意義なものとなった。
 特に佐野さんの、ドラマ各篇に対する熱烈なリアクション、入れ込みぶりが素晴らしい。
 なにより開口一番に発せられた、「なんでオレが出演していないのか!(笑)」というひと言が、すべてを表わしているだろう。
 たとえば『片腕』の主人公を、佐野さんが演じられたとしたら……平田満さんの名演とはまったく持ち味の異なる怪(快)作が誕生したことだろうが、それはさすがにNHKではちょっと!?


 ……などと収録中も収録の合間も談論風発、『片腕』を語ってレ・ファニュの「白い手の怪」や小泉八雲の「因果話」まで暴走しまくる怪奇幻想文学オタクな両出演者に煽られたかのように、ついには藤井アナまで、高校・大学時代に三島由紀夫や太宰治はもとより、澁澤龍彦やW・W・ジェイコブズの「猿の手」を愛読されていたという秘められた(!?)過去をカミングアウトされて、大いに盛り上がったのであった。
 果たして、どのような番組に仕上がっておりますか、NHK総合テレビで8月11日(水)25:00(つまり12日の午前1時ですな)から予定されている放送を、23日にBShiで始まる本篇ともども、ぜひ御注目いただきたいと思う。




















東雅夫(ひがし・まさお)
1958年神奈川県生まれ。アンソロジスト、文芸評論家。元「幻想文学」編集長、現「幽」編集長。著書に『遠野物語と怪談の時代』『怪談文芸ハンドブック』、編著に『文豪てのひら怪談』など
http://blog.bk1.jp/genyo/







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第1回  「妖しき文豪怪談」放映決定!(07.01更新) 記事はこちら▼
第2回  『芥川龍之介集』まもなく発売!(07.08更新) 記事はこちら▼
第3回 落合正幸監督と「片腕」を語る(07.15更新) 記事はこちら▼
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週刊文豪怪談 連載第5回 『幸田露伴集 怪談』スタンバイ!
東 雅夫

 猛暑お見舞い申しあげます。
 毎年この時季を迎えると決まって思い出すのが、文豪・幸田露伴の名作「幻談」冒頭に登場する、次のような名調子だ。


「こう暑くなっては皆さん方があるいは高い山に行かれたり、あるいは涼しい海辺に行かれたりしまして、そうしてこの悩ましい日を充実した生活の一部分として送ろうとなさるのも御尤もです。が、もう老い朽ちてしまえば山へも行かれず、海へも出られないでいますが、その代り小庭の朝露、縁側の夕風ぐらいに満足して、無難に平和な日を過して行けるというもので、まあ年寄はそこいらで落着いて行かなければならないのが自然なのです。山へ登るのも極(ご)くいいことであります。深山に入り、高山、嶮山なんぞへ登るということになると、一種の神秘的な興味も多いことです。その代りまた危険も生じます訳で、怖しい話が伝えられております。海もまた同じことです。今お話し致そうというのは海の話ですが、先に山の話を一度申して置きます。」


 いかにも浴衣がけの文豪が、団扇を片手に寛いで語り始める姿を髣髴とさせるではないか。
 これはあながち私の恣意的な妄想ではない。
 この作品は昭和十三年、齢七十二歳を過ぎた露伴が、口述筆記によって起稿したものだが、担当編集者だった下村亮一の回想記『晩年の露伴』(経済往来社)によれば、その口述風景は、次のようなものだったという。


 ~~~~~~~~~~


「夏場のことだから、涼しい話でもと考えてみた。一つ思いあたったからやってみよう。日をかえてやってきたまえ」
 (略)
 八月の暑い日であったが、その日は階下の八畳の部屋に通された。その簡素な客室の床の間には、「露」の古びた掛軸が一つかかっているきりで、何一つないすがすがしいものであった。
 (略)
 露伴が床を背に、私がその前に坐り、中間に速記の机が置かれた。白絣の上布を着た露伴の前には、煙草盆が一つおかれ、翁が煙管で煙草をくゆらしながら、やおら語りはじめた。眼は射るように私を見つめ、まさに爛々として輝いている。これこそ露伴のいう青眼の対面というやつである。
 はなしは巧みな講釈師よりも、まだまだ巧みなもので、何の淀みもなくつづけられ、一時間以上が、またたく間にすぎた。内容は「釣」を主題にしたものだが、今まで全く類をみない、未知の世界の、しかも立派な小説である。


 ~~~~~~~~~~


 こうして完成したのが、露伴怪談の白鳥の歌ともいうべき名品「幻談」なのであった。
 そもそも露伴と怪談との関わりは古く、デビュー直後の明治二十三年(一八九〇)に発表された短篇「縁外縁」こと「対髑髏」にまで遡る。
 私見によれば、実はこの「対髑髏」こそ、近代日本で最初に登場した本格的な怪談文芸作品なのである。


 明治を代表する文豪の一人にして、近代日本における怪談文芸の開祖と呼んでも過言ではない巨人・露伴――本来なら「文豪怪談傑作選」の筆頭に持ってきてもおかしくない存在なのに、その登場が今回の第15巻目まで遅れていたのには、然るべき理由がある。













『幸田露伴集 怪談 文豪怪談傑作選』 8月9日発売!


 その荘重にして格調高き……現代の読者にとってはいささか格調が高すぎる(!?)文体の問題である。和漢にわたる博識の持ち主であった露伴の文章には、漢籍仏典などからの引用が、地の文に融け込む形で頻出している。往時はまだしも、漢文教育が等閑に付されて久しい戦後世代の読者にとっては、難解な漢語だらけの字面を一瞥しただけで、敬して遠ざけたくなるのは人情というものだろう。


 とはいえ難解なのは見かけだけで、いったんその懐に飛び込んでしまえば、「幻談」の名調子からも分かるとおり、露伴の語り口は実に流暢で、場面場面が鮮やかに浮かびあがる体(てい)のものである。漢語だの漢詩の引用など細かい点は気にせず、どんどん読み進めばよいのですよ、はっはっは……と、根が能天気な編者は毎年のように力説するのだが、対する冷静沈着な担当編集者のKさんに、「そうはいっても語注は必要ですよね。できれば漢詩の大意なども」と突っ込まれて、「また来年、考えましょうか」と腰くだけになるのが常だった。悲しきかな、編者の貧しき漢文の素養では、註釈を施すなど及びもつかぬことは目に見えていたからである。


 それが今年、ついに実現の運びとなったのは、頼もしい助っ人を得たからだ。
 小説家であり、近年は『ひとり百物語』連作など怪談実話の分野でも大活躍されている立原透耶さんに、本巻の註釈作業を監修していただけることになったのである。













立原透耶さんの新刊。好評発売中!
 詳細情報はこちら▼

 実は立原さんの本業(裏稼業!?)は中国文学の研究者で、北海道の某大学で中国語の教鞭を執っていらっしゃる。露伴怪談集の註釈には、願ってもない適任者なのだった。
 かくして、立原さんの献身的なお力添えによって、怪談文芸の観点から露伴の小説とエッセイの代表作を一巻に集成するという未曾有の企画が実現できた。
 あとは8月9日の発売を待つばかりである。御期待ください。

















ドラマ化にともない、書店店頭でポップを展開中!

 目黒区駒場――東京大学のキャンパスにも程近い閑静な住宅街にひろがる駒場公園の一隅に、日本近代文学館が開館したのは、一九六七年のこと。散佚が危惧される近代文学関連の資料を蒐集保存する本格的な文学ミュージアムとして、文壇や学界、マスコミ関係の支援を受けて維持運営され、現在に至る。
 日本の近代文学方面の研究や出版に携わる人間にとっては、まことに頼もしい施設であり、私も以前から折にふれ、何かとお世話になってきた。
 とりわけ芥川龍之介については、学研M文庫版『伝奇ノ匣3 芥川龍之介 妖怪文学館』や『幽』第十号の「怪談マニア龍之介」特集、そして今回の『文豪怪談傑作選 芥川龍之介集 妖婆』と、同館所蔵の「芥川文庫」を大いに活用させていただいているのだ。


「芥川文庫」は、芥川家から寄贈された龍之介の遺品――草稿や書簡、画幅、そして旧蔵書二千六百余点から成る。
 名高き「河童図」の数々や、一眼怪、唐傘お化け、のっぺらぽうなどを描いた「化物帖」なども愉しいが、怪談文芸ファンにとって、なにより貴重かつ圧巻なのが、旧蔵書の三分の一強にあたる八百冊余の洋書中に含まれる、欧米の怪奇幻想文学関連書目である。
 W・ベックフォードの『ヴァテック』、M・G・ルイスの『マンク』、M・シェリーの『フランケンシュタイン』、B・ストーカーの『ドラキュラ』……英国ゴシック・ロマンスの歴史に燦然と輝く伝奇と怪異の名作群がある。
 アルジャノン・ブラックウッドの『空家』『耳かたむける人』『ジョン・サイレンス』『迷いの谷』、M・R・ジェイムズの『考古家の怪談集』正続二巻と『痩せこけた幽霊』、F・マリオン・クロフォードの『無気味な物語』(『さまよえる幽霊』の英国版タイトル)、そして『アンブローズ・ビアス全集』……近代怪奇小説を代表する英米の大家の短篇集、作品集がある。
 ベイリング=グールドの『幽霊の書』、アンドリュー・ラングの『コック・レイン事件と常識』、W・T・ステッドの『幽霊実話集』正続二巻、ジョン・ハリスの『憑かれた屋敷と住人たち』……英国各地の幽霊伝説や心霊事件を扱った怪談実話本がある。
 そう、ここは、内外の怪談文芸に関心を寄せる人々にとっては、まさに宝庫なのだ。


 しかも、これら旧蔵書の多くには、各篇や巻末の余白に、龍之介自身による読了直後の書き込みが残されている。その内容たるや、歯に衣着せぬ直言ぞろいで実に興味深い。
 たとえばストーカーの『ドラキュラ』については「くだらん小説だ/怪談もこうなっては一向怖く/ない/鏡花以下だね 我鬼/July 27th 1920 Tabata」、『フランケンシュタイン』についても「己はこの本をよんで少しも怖くなかった そして/寧(むしろ)フランケンスタインの創造した巨人が人間/の世界に接触してゆく段どりに興味をひか/れた」などと、なかなか手厳しい。
 その一方で、ブラックウッドやM・R・ジェイムズら近代英国恐怖派の大家たちには概して好意的で、各作品の末尾に熟読をうかがわせるコメントを記している。
 たとえばブラックウッド『ジョン・サイレンス』所収の「いにしえの魔術」には、「前半はよいがhallで婆さん及(および)娘と踊る辺から先はいかん/どうも日本の猫ぢゃ猫ぢゃを思い出す」、「邪悪なる祈り」には「Satanの姿が見えるところはまずい/その外はよく書けている/但前半は冗漫なり」、『耳かたむける人』所収の「柳」には、ひと言「うまい」といった具合である。
 ちなみに、こうして培われた龍之介の泰西怪談文芸に対する造詣は、『文豪怪談傑作選 芥川龍之介集』所収の「近頃の幽霊」「英米の文学上に現われた怪異」などの談話に躍如としていることを申し添えておこう。


 龍之介のお化け好き、怪談マニアぶりが窺われて、とても面白いんですよ……という話を、「妖しき文豪怪談 芥川龍之介篇」の打ち合わせに際して、ドキュメンタリー・パートを担当するテレビマン・ユニオンのスタッフに開陳したところ、それなら近代文学館でロケをしましょう、ヒガシさん、解説お願いしますね、という話になった。
 かくして先週、折しも「芥川龍之介展」開催中の同館におじゃまし、閉館後の展示室などで長時間にわたり撮影がおこなわれた。
 まさか自分が近代文学館で、テレビカメラを前にして、龍之介と怪談について語ることになるとは、世の中は分からないものであることよ。
 上記の泰西怪談本や龍之介自身の書き込みについても、番組内で紹介されることと思うので、御期待いただきたいと思う。













日本近代文学館での撮影風景。
このあとアシスタントの女子が座っている席で、
芥川と怪談についてのインタビューを受けました


東雅夫(ひがし・まさお)
1958年神奈川県生まれ。アンソロジスト、文芸評論家。元「幻想文学」編集長、現「幽」編集長。著書に『遠野物語と怪談の時代』『怪談文芸ハンドブック』、編著に『文豪てのひら怪談』など
http://blog.bk1.jp/genyo/







<週刊文豪怪談 バックナンバー>
第1回  「妖しき文豪怪談」放映決定!(07.01更新) 記事はこちら▼
第2回  『芥川龍之介集』まもなく発売!(07.08更新) 記事はこちら▼
第3回 落合正幸監督と「片腕」を語る(07.15更新) 記事はこちら▼

 落合正幸監督のドラマ「片腕」を、ひと足早く、拝見した。
 『ダ・ヴィンチ』来月号で「妖しき文豪怪談」のミニ特集が組まれることになり、そのメイン企画として、落合監督と私の対談が急遽、収録されることになったのである。
 これは何としても、監督とお目にかかる前に実際の映像を観ておきたいと思い、浜野高宏プロデューサーに無理を云って、まだ編集段階の映像を特別に拝見させていただいたのだ。


 いやあ……驚いた!
 ヒロイン(の本体!?)というべき「片腕を貸す娘」を、『仮面ライダー響鬼』の妖姫役このかた、ずっと注目している若手女優の芦名星さんが演じていることに、まずびっくり。
 このほど急逝されたつかこうへい氏の芝居でもおなじみの実力派俳優・平田満さんが、片腕(の造形物)を相手に、一種の独り芝居ともいうべき大熱演を繰りひろげていることにも、大いに驚かされた。
 しかしながら、なによりも驚歎させられたのは、落合監督が呆気にとられるほど正攻法で、この稀有なる幻想文芸作品の映像化に取り組まれていたことだった。












芦名星さん(片腕より)

 もとより編集段階での映像であるし、事前に妙な先入観を与えて視聴者の興を削ぐことは厳に慎むべきであろうから、作品自体の話は「本篇をお愉しみに」ということにさせていただきたいのだが、ひとつだけ触れておきたいことがある。
 落合監督とは初対面だったが、対談前の顔合わせの席で、監督から「ヒガシさんは何年のお生まれですか?」と問われて「一九五八年、昭和三十三年ですね」と答えると、なんと落合監督も同い年だという。


 そこでピンときたことがある。
 落合版「片腕」の映像世界に横溢する、ミッド・センチュリーの時代色だ。
 特撮ファン向けに換言すれば、かの「ウルトラQ」や「アウターリミッツ」と共通する怖ろしくも懐かしきアンバランス・ゾーンのテイスト、といってもよかろう。
 聞けば、監督は小学生時代に観た「アウターリミッツ」(日本での初放映は一九六四年)に強烈な印象を植えつけられたといい、私もまた「ウルトラQ」(一九六六年放映)の開始時には、一時間も前からテレビの前に正座して、今や遅しと待ちかまえていたものだ。
 ひるがえって鑑みるに、川端康成が「片腕」を「新潮」に連載していたのは、一九六三年八月から翌年一月にかけて……まさしく「アウターリミッツ」や「ウルトラQ」の映像世界と、妖しい濃霧に鎖された「片腕」の作品世界とは地続きなのであった。

 これはまことに心愉しい「発見」でもあった。
 ちょいと私事にわたるけれども、特撮映画ファンとしての自分と怪奇幻想文学ファンとしての自分の原体験が「地続き」であるという感覚が、かねてより私の中にはある。
 小学校中学年で「ウルトラQ」や東宝・大映の特撮映画に魅了され、小学校高学年で『怪奇小説傑作集』や『暗黒のメルヘン』をはじめとする名作アンソロジーに接して、怪奇幻想文学の世界へ誘われ……という道筋である。
 その境界領域に、かの大伴昌司をはじめとする「導師」が介在したことを知るのは、ずっと後年のことなのだが、それと自覚せずとも、自分が惹かれる文学と映像という二つの世界に、ただならぬ共通性が潜んでいるという予感めいたものは常にあった。

 その意味で今回、落合監督が、私の編纂した『文豪怪談傑作選 川端康成集』をお読みになって「片腕」と出逢い、従来の川端像とはまったく異なる文豪の怪美な一面に大変な衝撃を受けて、その映像化を思い立ち、それがひとつの大きな契機となって「妖しき文豪怪談」というプロジェクトが具体化し……という流れには、かつての自分自身の原体験を、あたかもさかのぼって追体験させられるかのような驚きを感じざるをえないのであった。
 今回みずから「片腕」の脚本化にも取り組まれた落合監督のお話には、他にもいろいろとハタと膝を打ちたくなるくだりがあって、とても刺戟的なひとときを過ごさせていただくことができた。
 詳しくは、来月上旬発売の『ダ・ヴィンチ』九月号に御注目ください。












右は落合監督

 発売といえば、先週末に無事発売となった『文豪怪談傑作選 芥川龍之介集 妖婆』――「怪談」という視点ならではの珍しい珠玉作なども、ここぞとばかり収録しているので、こちらもひと足先に御注目いただければ幸いである。
 ちなみに「妖しき文豪怪談」の芥川龍之介篇では、ドキュメンタリー・パートで、駒場の日本近代文学館に収蔵されている龍之介のお化け絵や旧蔵書、とりわけ怪奇幻想文学方面のそれなどを、不肖ワタクシが案内役となって御紹介することになっている。
 これまた、国民的文豪の「もうひとつの顔」を浮かび上がらせる試みであり、そこから落合監督と「片腕」のような出逢いがどこかで生まれて、新たな文芸や映像作品が誕生する萌芽となれば、何よりなのだけれど。

東雅夫(ひがし・まさお)
1958年神奈川県生まれ。アンソロジスト、文芸評論家。元「幻想文学」編集長、現「幽」編集長。著書に『遠野物語と怪談の時代』『怪談文芸ハンドブック』、編著に『文豪てのひら怪談』など
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連載第1回  「妖しき文豪怪談」放映決定!(07.01更新) 記事はこちら▼
連載第2回  『芥川龍之介集』まもなく発売!(07.08更新) 記事はこちら▼

 「……いつの年も、末ちかくあらわれ」と始まるのは、怪奇幻想SFの抒情詩人レイ・ブラッドベリの名作『10月はたそがれの国』(宇野利泰訳)巻頭に置かれた印象的なエピグラフだが、われらが〈文豪怪談傑作選〉では毎年、春先になると、筑摩書房の担当Kさんが軽やかにあらわれて、小鳥のさえずりの如きハイトーン・ボイスで、こう告げる。

 「今年もまたー、文豪怪談を御準備いただく季節になりましたー」

 その瞬間、いつも思うのは、あれれ、もう一年経ったのかあ、ということ。
 ついこのあいだ、Kさんも私もヘロヘロになって、去年の巻を校了した気がするのに……まさに光陰矢の如し、である。

 最初の年を除くと、通常巻を二冊に特別篇を一冊(ただし本年は、ちょいとゆえあって通常巻のみ。その理由はいずれ更めて告知させていただきます)という布陣で臨んでいるわけだが、巻数が少ないからこそ、どんな作家をチョイスするのか、悩みは尽きない。
 そもそも、このシリーズは、当初から巻立てが決まっていたわけではないし、前年の売れ行きとか読者の皆さまからの反応などを勘案しつつ、その年のラインナップを決めるという方針で臨んでいるため、仕事はじめの作業は「今年は誰を取りあげようか」の相談となる。

 一昨年の小川未明と室生犀星のときは、私が主宰している「幻妖ブックブログ」でアンケートをおこない、特にリクエストが多かった両作家に決定したのだが、その前の柳田國男と三島由紀夫、昨年の太宰治と折口信夫については、アンソロジストの野生の勘(?)と、担当編集者のバランス感覚の鬩ぎ合いの産物である。
 それでも何となく、二人の作家の間に繋がりが生ずるのは、面白い。
 三島の巻には、柳田の『遠野物語』を称揚した「小説とは何か」と「柳田國男『遠野物語』」が収録されており、折口の巻には、太宰を追懐した「水中の友」という幽玄な一文が収められているのだ。

 さて、今年は芥川龍之介と幸田露伴という組み合わせになったわけだが、芥川については、これまでとは異なる決定の経緯があった。
 昨年の秋口、NHKで放送される番組の企画制作を担当するNHKエンタープライズの浜野高宏プロデューサーから私のもとに、折り入って相談したいことがあるのだが……という連絡をいただいた。
 浜野さんは以前、その名も『異界』と銘打つ、日本の怪談文化を海外に紹介する教養番組を制作されており、私も『幽』(いちおう日本初の怪談専門誌なのだ)の編集長として、取材に協力したことがあった。

 その御縁で声をかけてくださったのだが、聞けば、『異界』の好評を受けて、今度は「文豪と怪談」をテーマにしたシリーズ番組を企画されているというではないか。
 しかも、文豪怪談を原作とするドラマ・パートと、作家の生涯と怪談との関わりを浮き彫りにするドキュメンタリー・パートとの二本立てによる構成を勘案中だという。
 さらにさらに、ドラマ制作にあたっては、いま第一線で活躍中の映画監督たちを起用し、それぞれの個性を発揮して文豪たちの怪談世界を視覚化する、競作形式を採用するつもりであるとも……。












 この構想を聞かされた私が、内心、小躍りして歓んだことは申すまでもあるまい。
 まさに「きた、きた、きたーーーーーーーーーッ!」の心境であった。
 それと同時に、やはり内心、冷静沈着(?)なもうひとりの自分が、こう呟いたことも正直に告白しておこう。
「でもなあ、いくら天下のNHKさんとはいえ、そんなに上手く事が運ぶのかしらん……」
 浜野さん、ごめんなさい。おみそれいたしました。敏腕プロデューサーの手腕によって、依頼はとんとん拍子に進み、(当方の認識としては)あれよ、という間に、四人の監督さんと、担当される作家のラインナップが固まっていったのである。
 川端康成、太宰治、芥川龍之介、室生犀星……なかで芥川のみが〈文豪怪談傑作選〉では未刊であった。
 これには理由がある。私が前に手がけた学研M文庫版〈伝奇ノ匣〉シリーズに、『芥川龍之介 妖怪文学館』という巻が含まれていたからだ。
 とはいえ、同書はとうに品切れで再版予定もなく、昨年『幽』の10号で芥川龍之介特集を組んだときにも、読みたいのに入手できないという問い合わせをいただき、申し訳なく思っていたのである。
 学研版は「伝奇」がコンセプトだったが、今回は「怪談」に主眼を置いて、新たなセレクションで臨もうということで、今年一人目の作家は、すんなりと決定に至った。

 その『文豪怪談傑作選 芥川龍之介集 妖婆』が、今週の金曜日(7月9日)にいよいよ発売となります。ぜひとも、よろしくお願い申しあげます!


『文豪怪談傑作選 芥川龍之介集 妖婆』 詳細













東雅夫(ひがし・まさお)
1958年神奈川県生まれ。アンソロジスト、文芸評論家。元「幻想文学」編集長、現「幽」編集長。著書に『遠野物語と怪談の時代』『怪談文芸ハンドブック』、編著に『文豪てのひら怪談』など
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<週刊文豪怪談 バックナンバー>
連載第1回  「妖しき文豪怪談」放映決定!(07.01更新)

週刊文豪怪談 連載第1回 「妖しき文豪怪談」放映決定!
東 雅夫

 ちくま文庫版「文豪怪談傑作選」シリーズは、二〇〇六年七月刊行の『川端康成集 片腕』を皮切りに、毎年夏場に数点ずつ、巻を重ねてきた。
 当初、刊行が決定されていたのは最初の四巻までで、それ以降は、反響と売れ行き次第で続刊も……という手探り状態のスタートだったが、さいわい、お化け好きや文豪好き(!?)な読者諸賢の御支持を得て、この夏発売される『芥川龍之介集 妖婆』と『幸田露伴集 怪談』で、総計十五冊に達するまでに成長した。過去にいろいろなアンソロジーを手がけてきた私だが、これだけ息長く続くシリーズは珍しい。











ただいま制作中

 担当編集者のKさんと私は、Kさんが前の会社にいらしたときからの知り合いで、そちらでも「江戸っ子ホラー作家・岡本綺堂」などという酔狂な雑誌特集のお手伝いをさせていただいたりしていたのだが、ちくま文庫を新規に担当されるにあたり、「何か、とっておきの企画はありませんか?」と相談を受けて、いそいそと提案したのが、「文豪」の「怪談」を蒐めた一巻本アンソロジーのプランだったのである。

 日本文学史に赫々たる功績を残した名だたる文豪たちには、実のところ、かなりの割合で「お化け好き」の士が含まれている。
 すでに本シリーズに収めた作家以外にも、夏目漱石しかり、坪内逍遙しかり、志賀直哉しかり、坂口安吾しかり……むしろ生涯に一作も、こうした傾向の作品を手がけていない作家を探すほうが難しいくらいなのだ。

 しかも、文豪たちの怪談には、達意の名作、珠玉の佳品が数多い。

「文学の極意は怪談である」という佐藤春夫の言葉(『三島由紀夫集 雛の宿』p261を参照)を引くまでもなく、ありえざる出来事を言葉のみで表現することによって、読者を震撼させたり、感興に浸らせたりすることは、容易な業ではあるまい。
 その意味で、それぞれの流儀で文学の極意を会得したことで、後に「文豪」の名を冠された作家たちが、怪談に秀でているのは理の当然であるし、それゆえにまた、作家として一度は挑戦してみたいジャンルでもあることだろう。

 その一方で、読み手の側からすれば、「怪談」という新たな視点から眺めることで、「文豪」という美名に隠れがちな作家本来の姿や意外な魅力が、再認識される面白さがあることも忘れてはなるまい。
 現に『川端康成集 片腕』や『小川未明集 幽霊船』などには、特にそうした御感想を多く頂戴している。日本人初のノーベル文学賞作家が、実は性愛と心霊の世界を生涯にわたり追求した人であったり、日本児童文学の開祖となった童話作家に、怪談作家という知られざる別の顔が秘められていたり……その意外性たるや、まことに興趣尽きない。

 さて、今年の夏は「文豪怪談傑作選」シリーズにとって、特別な夏となることを、ここで唐突に御報告しておきたい。
 NHKエンタープライズ企画制作の「妖しき文豪怪談」というシリーズ番組が、NHK−BShiで、8月23日から26日まで四夜連続、22:00から23:00までの時間帯に放映される。
「文豪怪談傑作選」でもおなじみの川端康成、太宰治、芥川龍之介、室生犀星という四人の文豪たちの怪談世界を、撮り下ろしドラマとドキュメンタリーで紹介するという画期的な試みである。
 なにより画期的なのが、ドラマ・パートを担当する顔ぶれだ。

 第1回が、落合正幸監督による川端康成「片腕」。
 第2回が、塚本晋也監督による太宰治「葉桜と魔笛」。
 第3回が、李相日監督による芥川龍之介「鼻」。
 第4回が、是枝裕和監督による室生犀星「後の日の童子」。

 いかがであろう、思わず眩暈を覚えるような凄い陣容ではあるまいか。
 実を申せば不肖ワタクシ、この番組に、昨秋の企画起ちあげ時点から監修役として関わってきたのだ。もちろん筑摩書房の編集Kさんにも、全面的に御協力をいただいている。
 この連載では、今年の「文豪怪談傑作選」をめぐる動向とともに、「妖しき文豪怪談」制作の楽屋裏もリアルタイムでお伝えしていきたいと思っている。御愛読いただければ幸いである。

東雅夫(ひがし・まさお)
1958年神奈川県生まれ。アンソロジスト、文芸評論家。元「幻想文学」編集長、現「幽」編集長。著書に『遠野物語と怪談の時代』『怪談文芸ハンドブック』、編著に『文豪てのひら怪談』など
http://blog.bk1.jp/genyo/